川上貞奴 愛する人立て、自ら花開く
ヒロインは強し(木内昇)
夫唱婦随の心が、華々しい軌跡を残した彼女の根にあった気がする。川上貞奴。明治期、新演劇を旗揚げした川上座で活躍した女優である。
四つで芸者置屋に引き取られた。まだ雛奴(おしゃく)の時分、貞奴は岩崎桃介なる書生と運命的な出会いをする。野犬の群れに襲われたところを彼に助けられたのだ。ふたりは惹かれ合うが、桃介に福沢諭吉の次女との縁談が持ち上がり、貞奴は泣く泣く身を引いた。以来彼女は一心に芸に精進し、伊藤博文をはじめ名だたる贔屓筋を持つ売(う)れっ妓(こ)となる。
とはいえ、ただ男性にかしずくばかりではなかった。付き合いのある高官や政商から豊富な知識を得、馬術や社交ダンスを教われば自ら研鑽して究める――男勝りな性分も持ち合わせていたのだ。
その貞奴が二十歳の頃に夢中になったのが、書生演劇を主宰していた川上音二郎だ。伝統ある歌舞伎とは異なる傍流の芝居。世間的な地位も低ければ、経済力も将来性も定かでない。物珍しさと時流風刺の「オッペケペー」が受けて評判こそとってはいるが、平素彼女が接しているお歴々からすれば頼りない存在だったはずである。でも、だからこそ気性の強い彼女は惹かれた。七歳年上の音二郎に対して、自分が側にいて支えてやらねばと思い決めたのだ。
出会いの三年後、ふたりは結婚。さらに五年後、川上座は渡米している。新演劇の活路を求めてのことだった。かの地で貞奴ははじめて舞台に立つ。当時、役者は男性のもの、女役も女形がこなすのが通例だった。それを知らぬ米国の興行主が一存で、貞奴を女優として宣伝した。急拵えで役をこなすハメになり彼女は困惑するが、結果的にその美しい佇まいが観客を魅了、一躍脚光を浴びる。欧米巡業後に帰朝した際には、国際女優としてもてはやされた。
「西洋婦人と見紛うばかりうち変れば、一行の中にて最も異様の光彩を放てりき」
当時の新聞は伝えたが、貞奴は不本意だった。夫の仕事を陰で支え、川上座という大所帯を切り盛りすることこそが彼女の望みなのだ。それに中途半端に女優をして低い評価を受ければ、女に芝居は無理だという前例を作ることになる。女優草創期だからこそ慎重になった。それでも最終的に我を折ったのは、夫に請われたからだった。
やるからには究める。生来の根気強さで一時代を築き、後進をも育てた。が、音二郎亡き後、なにくれとなく世話を焼いてくれた初恋の人・桃介が病を得ると、彼女はすっぱり女優を引退するのである。自らの名声より人を支える道を選ぶ。それこそが貞奴の本質なのだろう。
常に愛する人を立て、その人生に従った女性だった。彼女が花開いたのは、男を見る目があったから、と言えばそれまでだろう。だが貞奴の魅力は、無欲でいながら、与えられた命題にとことん取り組み、周囲の期待以上の結果を出した才覚にある。楽して大樹に寄りかかるのではなく、愛情豊かに相手を育て、自らも成長した賢女なのだ。
[日本経済新聞朝刊女性面2014年12月20日付]
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