ライフコラム

けいざい半世紀

「題名のない」まま50年の音楽会 黛敏郎から佐渡裕まで

2014/12/24

最初の東京五輪が開催された1964年は今の日本の原型を形作る交通インフラや新サービス、新商品が産声を上げました。東海道新幹線が開業、首都高速道路の整備が進んだのもこの年です。コラム「1964年~ ニッポンの大いなる助走」は50年前のあのころをスタートラインとして次の50年、日本が駆けていく先を読み解きます。

「題名のない、が題名だ!」。20世紀の日本楽壇で強烈な存在感を放った作曲家、黛敏郎(1929~97年)は1964年(昭和39年)、東京オリンピックの開会式前に流す音楽を書いたのと前後して、テレビの長寿音楽番組「題名のない音楽会」の誕生にも深くかかわった。

■番組タイトルは「投げやり」で誕生?

番組の誕生にも深く関わった初代司会者、作曲家の黛敏郎さん

「タイトルをどうするか」「みんな疲れ果てていいアイデアが浮かばなくなり、いささかウンザリしてしまったとき、私は半ば投げやりな調子でこう言った」「いっそのこと『題名のない音楽会』というタイトルにしたら」「結局それ以上の案が出なかったので、私が名付け親ということになってしまった」。黛は77年初版の著書「題名のない音楽会」(角川文庫)で由来を明かしている。「無題」と開き直った番組が、半世紀を生き延びた。

第2次世界大戦後の復興期に相次ぎ創業した民間放送は文化イメージを高めようと、クラシック音楽の普及にも力を入れた。とりわけ、オーケストラの支援には熱心だった東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターだった黒沼昭久は「自主運営となった東京交響楽団(東響)をレギュラーにした新番組」の制作を思いつく。黛、指揮者の石丸寛、放送作家の藤田敏雄らとともに企画を練り上げて64年8月、「ゴールデン・ポップス・コンサート・題名のない音楽会」という長い名称の番組を世に送り出した。12チャンネルの開局から、4カ月しかたっていなかった。

黛は「多くの人びとにとって、音楽とは日常生活とかなり縁の遠い存在」との問題意識に立ち、テレビというマスメディアを介する以上、「一見音楽とかかわりのない人たちこそ対象にしなければならない」と考えた。そして、番組のキャッチフレーズを掲げた。

「あなたは音楽が嫌いですか? 退屈ですか? 難しいですか? 音楽なんかなくたって人生は成立すると考えますか? もしあなたがそう思っているなら、あなたはこの番組を見る資格があります。私たちの番組はそうした人たちにささげる番組です」

第1回のゲストは「東京ナイト・クラブ」「誰よりも君を愛す」などに続いてこの年、「お座敷小唄」をヒットさせた歌手の松尾和子だった。最初からジャンル越境、クロスオーバーの路線を敷いていたのは今日でも、驚きに値する。

■出光「カネは出すが口は出さない」

「新・題名のない音楽会」のタイトルで司会に起用された歌手・俳優の武田鉄矢さん

民放番組だからスポンサーは絶対必要だが、「題名……」はここでも幸運に恵まれる。番組提供の経験がなかった非上場の同族企業、出光興産がいよいよテレビで宣伝を打つこととなり「視聴率は二の次で、社会貢献の度合いの高い番組」を探していたタイミングに合致したのだ。黒沼は初回2本分の録画を昼休みの出光本社に持参し、社員全員が対象の試写に臨んだ。案の定、「賛成」の回答率は17%にとどまったが、「それでも提供します」「ウチが潰れるまで続けます」との答えが返ってきた。

事実、66年に当時の12チャンネルの経営が行き詰まって番組の存続が不安視された時、出光は「せっかく始めた『題名……』をやめるのはいやだ」といい、スポンサーごと番組を他局へ移す「前代未聞の態度」(黛)に出た。結局、特定のオーケストラとの関係がないNET(日本教育テレビ=現テレビ朝日)に落ち着いた。3月末まで12チャンネル、4月からNETと1週も放映は途切れず、移籍直後の2回は12チャンネル制作の映像をそのまま使った。変わったのは「ゴールデン・ポップス・コンサート」の副題が取れたことくらい。現在に至るまで出光の1社提供、テレビ朝日系列での放映が続いている。

「題名のない音楽会21」のタイトルで司会を務めたジャズピアニストの羽田健太郎さん

70年以降、黛の言動は右傾化し、日本を守る国民会議(現・日本会議)の議長も務めるなど、保守派文化人の顔が前面に出た。「題名……」も三島由紀夫や元号問題、軍歌などを扱って物議を醸したが、出光は「金は出すが口は出さない」の態度を崩さず、黙々と1社提供に徹した。黛は97年4月に亡くなるまで33年間、司会者であり続けた。

黛亡き後、司会は作家の永六輔(代行)、歌手・俳優の武田鉄矢、ジャズピアニストの羽田健太郎へと受け継がれ、番組名にも「新」や「21」の文字が足されたり消えたりした。

2008年4月、指揮者の佐渡裕は司会者に就くなり「これは黛さんの番組だった」と宣言し、題名を元に戻した。09年には「世界一長寿のクラシック音楽番組」として、ギネスブックが認定した。いま、毎週の放映は「新しいページをめくりましょう」と、佐渡が舞台上と客席の全員とともに声を発するキーワードで始まる。

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