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シベリアの果てから脱走 1万3000キロ、過酷な逃亡劇 ありえない生還劇

2014/12/21

ナショナルジオグラフィック日本版

 「事実は小説よりも奇なり」といいますが、絶体絶命の危機から生還した実話も、すぐには信じられないようなエピソードばかりです。ナショナル ジオグラフィックが集めたそんな実話の中から、特に「ありえない生還劇」をご紹介します。

 第2次世界大戦が終結した時、ソ連の捕虜となったドイツ軍兵士は2万人を数えた。コルネリウス・ロストは1944年に捕らえられ、1年後に重労働25年の刑を言い渡された。送られた先は遠く離れたシベリアの果ての、いてつく鉛鉱山だった。

Shutterstock (c)Konstantin Shevtsov

■地の果て、シベリアの収容所

 囚人たちは鉛鉱山の穴の中で暮らした。警備兵たちは、彼らを情け容赦なくこき使い、毎日12時間働かせた。運がよければ週に1回、1時間だけ太陽を拝めた。囚人は疲労で死ななかったとしても、鉛中毒で確実に死んだ。

 ロストの刑期は25年だったが、実際はその前に人生の方が終わってしまうだろう。ロストには自分がすぐに衰弱し、力尽きることがわかっていた。周囲に果てしなく広がるのは、凍りついた無の世界。それでもロストは、とにかく脱走を試みるべきだと考えた。

 ロストはすぐに逃げ出したが、そのせいで仲間の囚人の食糧はほぼゼロにまで減らされた。11日後に捕まったロストは餓死寸前の囚人仲間にひどく殴られ、死にかけた。

 それから3年が過ぎた頃、ロストは再び脱走の機会を見つけた。

■思いを託した医師、身代わり脱走

 収容所の医師だった仲間のドイツ人捕虜が、特権的な地位を利用して脱走に向けた準備を進めていた。地図、食糧、現金、衣服、スキー、さらには銃まで隠しもっていた。

 ところが彼はガンであることが判明、脱走計画を断念する。代わりにロストに脱走してくれるよう頼んだ。一つ条件があった。脱走に成功したら、ドイツにいる妻に連絡してほしい。

 1949年10月30日、医師は延々と警備兵たちの注意をそらし、その隙にロストは診療所を抜け出した。

 計画は単純だった。西に向かって、できるだけ速く、できるだけ遠くまで逃れる。追われるのは間違いなかったが、収容所から320キロ離れれば、警備兵たちも捜索をあきらめるはずだとロストは考えた。そこから南に向かい、中国に入る。

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