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綾小路きみまろさん 体の土台作った「芋づくし」 鹿児島の少年時代、ほぼ自給自足

2014/12/5

(あやのこうじ・きみまろ)漫談家。1950年鹿児島県生まれ。漫談を収録したCDやDVDの販売枚数は500万枚を超える。著書に「失敗は、顔だけで十分です」(PHP文庫)など。今年9月に「きみまろのあれから40年」で歌手デビューも果たした。 【最後の晩餐】すき焼きですね。18歳まで牛肉が食べられなかった反動とでもいいましょうか。家族や世話になったスタッフみんなを呼んでにぎやかにして。自分が味付けした肉を振る舞いたい。ポイントは、あらかじめ肉にしっかり味付けすること。上等の肉に上等の砂糖やタレを使ってぜいたくにいきたい。          =写真 編集委員 葛西宇一郎

生まれ育ったのは鹿児島県大隅半島の松山町(現志布志市)。自宅の畑では特産のサツマイモがわんさととれた。「とにかく芋づくしで育った。芋の方が多いお茶わんの中からコメを掘り出して探していた」

芋だけでなく食べ物は自給自足に近かった。コメやソバも家で栽培していたし、川で取った魚も食卓に上る。大豆を育てて、味噌やしょうゆも自宅で作った。「周りもみんなそうだったので貧しいとは感じなかった。父が作ってくれたそばがきが今も懐かしい。豊かな子ども時代だった」

産卵直後の鶏卵の感触も忘れられない。飼っていた鶏の尻の下に手の平を広げてじっと待ち構える。「産み落とされてすぐの卵は、地面に落ちた時の衝撃で割れないようにするためなのか少しやわらかかった」

弟との取り合いの末に勝ち取った卵は「すぐに割って、しょうゆをかけてそのまま食べた」。その鶏も正月には父親がつぶして骨もだしにするなど、まるごと味わった。

毎食ごはんを3~5杯くらい食べた。ただ、いくら食べてもおなかがすいていた記憶がある。「動き回っていたから、おなかがすくし、少しも太らなかった」。

鹿児島時代の食生活がしっかりした体の土台を作った。年間100回以上ある公演をキャンセルしたことは一度もないという。もうすぐ64歳だが、これまで入院したこともない。「鼻に花粉を突っ込んでもアレルギーにはならないでしょう」

のんびりした田舎で育った若者が、テレビ番組の司会者を夢見て上京したのが18歳。食べ物に関しては「すべてがカルチャーショックだった」。まずコメがおいしい。特別なときにしか食べられなかった丼物を食べられる店がどこにでもあった。それに田舎では食べたことがないものばかり。

なかでもすき焼きは「なんでこんなにおいしいものがあるのかと衝撃だった」。牛や豚は飼育して出荷するもので、自分たちで食べるものではなかった。「売れないころは安いバラ肉を使ってもおいしいすき焼きになるように研究していた」。食への研究熱心なところは、徹底したネタ作りにも通じる。

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