小島慶子「勉強しないとああなるわよ」は最低だ
これから子どもの受験の追い込みだという家庭も多いはず。父さんと母さんは努力して学校を出て会社に入り、頑張って働いている。だから君も頑張っていい学校に入り、いい会社に入って、特別な人におなりよ。ごらん、世の中にはそういう努力をしなかったから負け組になっている人がいっぱいだ。君はあっちじゃなく、こっちの住人でいなくちゃいけないよ……。
「唯一の正解」よりも「価値を問う力」を
人一倍の努力と実績を誇りに思う人ほど、我が子にそう言い聞かせるのだろう。でも、子どもが大人になってから生きる時代をまだ誰も見ていない。子どもの未来にはいいときばかりではないだろう。そのとき「こっちの世界」なんてもうないかもしれないのに、無責任な将来保証をして一度きりの子ども時代を受験勉強に明け暮れさせるのが、本当に強い人間を作ることなのだろうか。受験自体が悪いのではない。ただ、もう一度考えてみよう。人生に必要なのは唯一の正解ではなく、自分にとって何が価値あるものかを問う力だ。
ある消防士さんにこんな話を聞いた。高い使命感を持って命がけで仕事をしていても、「税金を払ってやっているのだから感謝しろ」「消防士にしかなれなかったような者が」と言われ、緊急車両を便利屋のように呼びつけようとする電話が絶えない現実を前に、若い消防士たちが次第に目標を見失っていくのだと。
絶望と虚無を抱えた消防士に守られる社会をあなたは生きたいだろうか。しかしそうして彼らを使用人扱いする心ない人たちが火災に巻き込まれたら、それでも彼らは危険を冒して助けにいくのだ。あなたにはできるか? 税金もらって働いているなら当たり前か?
清掃の仕事について、あなたは子どもに何を話す?
何でもお金の額で計って、学歴や肩書きで優劣つけて、困っているひとや大変な人を見たら「お前がそこにいるのは、怠け者で頭の悪いお前自身のせいだ」と言い、自分を助けてくれる人にも「お前が私を助けるのは、お前の仕事なのだから当たり前だ」と言う。なるほど、ベビーカーを畳めとか保育園がうるさいとか言うわけだ。そのうち車椅子も畳め、寝たきり老人は死ねと言い始めるだろう。自分もそうなることがあろうとはかけらも想像せずに。
どうしてこうなったのだろう。なぜこんなに不寛容で偏狭な意見が大きな顔でまかり通る世の中なのだろう。
以前、こんな母親がいた。転勤先のニューヨークの街角で清掃をする黒人を指差して、小学生の子どもにこう言ったそうだ。「見なさい、勉強しないとああなっちゃうのよ」
彼女は一度でも足元のゴミを拾ったことがあるのか。今日あったゴミが明日ないのは当然だと思っているのか。自分がやりたくないその仕事に従事している人がいるから街の衛生状態が維持されているのに。
人が嫌がる仕事をするしか生きる方法のない人がいるのはなぜなのかと考えようとしないのだろうか。彼と自分の違いが何であるかではなく、なぜそんな違いが生まれるのかを問い、その理不尽な現実に対して、自分にできることがあるのだろうか? と問うたことはあるのだろうか。
おそらくその母親は子どもに正解を与えようとしたのだろう。彼女自身が正解だと信じる人生設計を我が子に刷り込むために「あってはならない人生」を提示して脅したのだ。しかし、もし彼女の子どもが清掃の仕事をするしか生きる方法がなくなったらどうすればいいかを、彼女は教えるべきではなかったのか? ゴミを拾う黒人と自分の子どもを同じだと考える視点があれば、そうしたはずだ。
彼らは将来、同じ社会を生きる
日本の大企業の駐在員の妻である自分と、ニューヨークでゴミを拾う黒人とは、彼女にとって別世界なのだろう。けれど、彼女の子どもと彼とが同じでないという保証などどこにもない。その仕事は社会に必要だし、清掃をする人とそうでない人が同じ社会でそれぞれに人生に期待して生きていることに変わりはない。なぜ違いが生まれるのか、どうしたらそれぞれの幸せを求めて共に生きる世の中にできるのかを問う力をこそ、彼女は子どもに与えるべきだったと思う。
なぜなら、どれほど親が「選ばれた環境」を子どもに与え、「よりすぐりの教育」を受けさせても、子どもはいつまでもパパ、ママ特製の無菌室にいることはできないからだ。教育の機会が得られず充分な養育を受けられなかった人たちと、大事に大事に隔離して育てたあなたの子どもは、必ずや同じ社会で利害を共にすることになる。だからもし、あなたが子どもに熱心に教育投資をするなら、充分な教育の機会を得られない子どもの支援もするべきだ。日本は先進国中でも子どもの相対的貧困率が高い。15.7%もの子どもが、充分な教育の機会を得られず、将来も貧困の連鎖の中に生きなくてはならない状態にある。
誰でも人生に期待して努力できる社会へ
充分な教育を受けられなかった貧困層の彼らも、あなたの子どもと将来必ず出会うのだ。手塩にかけた我が子と一緒に社会を作る人たちが、社会に見捨てられた恨みを募らせているのか、しんどいときに誰かが手を差し伸べてくれた経験を胸に社会に貢献しようとするのかでは、その先の社会は全く違ったものになるだろう。
あなたの子どもに必要なのは、親の投資で得た学歴ブランドで勝ち組電車に乗って逃げ切ることではなく、自分が恵まれた環境で身につけた力を生かして、自分とは異なる背景を持つ人たちと協力して社会を営む知恵である。
勉強しなかった奴らは貧乏でも自業自得だと言う人々と、勉強ばかりして特権を得ている奴らは人の痛みのわからないクズだと言う人々は、同じだ。どっちがより報われるべきかという不毛な争いで世の中を語ったつもりになっている。誰でも人生に期待して努力したら報われる社会にすること、自分が極めて弱い立場に置かれたときにも生きる希望を捨てずにいられるような社会を実現すること、教育も福祉もそのためにあるはずだ。私は、そのために税金を使って欲しい。救急車をタクシーがわりに呼んだり保育園を街から追い出したりするためなんかに、税金を払っているんじゃないのだ。
タレント、エッセイスト。放送局アナウンサーとして15年間勤務の後、現在はタレント、エッセイストとして活動中。小学生の息子が二人。著書に『解縛(げばく) ~しんどい親から自由になる』(新潮社)、『女たちの武装解除』(光文社)、『失敗礼賛~不安と生きるコミュニケーション術』(KKベストセラーズ)など。現在は家族の拠点をオーストラリアに移し、自身は仕事で日豪往復の日々。
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[日経DUAL 2014年10月17日付の記事を基に再構成]
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