なぜ銭湯のおけは「ケロリン」なのか?
編集委員 小林明
全国どこの銭湯に行ってもよく見かけるのが「ケロリン」という文字が印刷された黄色いプラスチック製のおけ。「何とも懐かしい」「昔からよく使っていた」などと愛着を抱く読者の皆さんも多いに違いない。
ところでこの「ケロリンおけ」。いつから、どのような理由で全国の銭湯に出回るようになったのかご存じだろうか?
興味を持って取材してみると、背後に意外なアイデア商法やユニークなビジネスモデルが隠れていることが分かってきた。今回はそんな「ケロリンおけ」の謎に迫ってみよう。
「木→プラ」「置き薬→薬局」 思惑が一致
取材に訪れたのは内外薬品(富山市)の東京支社。
「『ケロリンおけ』が誕生したのは1963年。それ以来、年約5万個のペースで生産し続け、累計で約250万個が全国の銭湯や旅館、ホテル、レジャー施設などで使われていると考えられています」。取締役で東京支社長の笹山敬輔さんが事情を説明してくれた。
1963年といえば、ちょうど翌年に東京五輪開催を控えた高度経済成長期のさなか。全国の銭湯では衛生面や耐久性の問題からそれまで使っていた木おけをプラスチック製のおけに切り替える時期にさしかかっていた。
「そのプラスチックのおけに文字を印刷して広告にしてみたらどうだろうか?」――。広告会社、睦和商事(東京・江戸川)の山浦和明社長がこうひらめいたのがきっかけだったという。山浦社長は日本海沿いの酒造、製薬、化粧品会社などを中心にスポンサー探しの旅を続け、最後に富山県の内外薬品にたどり着いた。
内外薬品の主力製品は「ケロリン」。鎮痛効果がある「アスピリン」と胃の粘膜を守る「桂皮(けいひ)」を配合した鎮痛薬(効き目が早く、「飲めば痛みがケロリと治る」ことから「ケロリン」と命名)。もともとは富山の薬売りが全国を回る「置き薬」として販売されていたが、この時期、内外薬品は急増していた薬局への販路拡大を目指していた。
「薬は味見ができない。商品名の知名度を上げるのが効果的。銭湯のおけを広告媒体にするアイデアは面白い!」。当時、内外薬品の副社長だった笹山忠松さん(笹山敬輔・現東京支社長の祖父)が山浦社長と意気投合し、両社の思惑が一致したのだ。
全国各地の銭湯に営業をかけるため十数台の自動車でキャラバン隊を組み、宣伝を兼ねながら行脚を続けたという。山浦社長や内外薬品の懸命の努力が実り、「ケロリンおけ」は徐々に全国の銭湯に普及していった。
ちなみに内外薬品は1958年にCMソング「青空晴れた空」(サトウハチロー作詞、服部良一作曲)を制作。さらに後楽園球場のゴミ箱や東京タワーの入場券の裏側にも「ケロリン広告」を展開するなど多角的な広告戦略に力を入れていた。
「ケロリンおけ」もこうしたユニーク広告の1つだったのだ。
初期は白色、関西版は小ぶり……のワケ
ここで「ケロリンおけ」の豆知識を紹介しよう――。
「ケロリンおけ」は最初に東京駅八重洲口にあった「東京温泉」に導入されたが、初期は白色の「ケロリンおけ」だったそうだ。だが「おけに付いた湯あかが目立つ」という理由から、汚れが目立ちにくい黄色のおけに切り替わった。そのため、今でも現存する白い「ケロリンおけ」には希少性があり、マニアの間でプレミア価格で取引されているとか。
豆知識をもう一つ。
関西地区に出回っている「ケロリンおけ」はサイズが小ぶりだということをご存じだろうか? 実は「関東版」と呼ばれる通常のサイズは直径22.5センチ、高さ11.5センチ(重さ360グラム)なのに対し、「関西版」のサイズは直径21センチ、高さ10センチ(重さ260グラム)と一回り小さい。関西では最初に湯船からおけでお湯をくみ上げ、掛け湯をする習慣がある。だから、「客が持ちやすいように軽くした」とも、「掛け湯の量をできるだけ節約するように小さくした」ともいわれている。
普及を促したユニークなビジネスモデル
さて、「ケロリンおけ」は全国の銭湯に次第に広がったが、これにさらに拍車をかけたのがユニークなビジネスモデル。その仕組みを紹介しよう。詳細は次の通り。
「ケロリンおけ」は睦和商事が群馬県にあるメーカーに委託生産し、内外薬品と共同のキャラバン隊などを通じて全国の浴場組合、問屋、旅館、ホテル、レジャー施設などに売り込んだ。その販売個数に応じた広告費を内外薬品が睦和商事に支払うという仕組み。広告費を内外薬品が負担するから、銭湯にとっては割安で「ケロリンおけ」を仕入れることができる。
価格はどの程度だったのか?
条件により大きく異なるそうだが、「ケロリンおけ」1個あたりの原価が600円、その半額の300円を内外薬品が広告費として負担するのが大まかな目安だったようだ。この条件だと銭湯側は1個300円で「ケロリンおけ」を仕入れることが可能。「ケロリン」をPRしたい内外薬品にとっても、おけを安く仕入れたい銭湯にとっても、双方にメリットがあったわけだ。
なぜ「ケロリン」が浴場市場を独占できたのか?
銭湯のおけにほかのメーカーの広告が印刷されることはなかったのだろうか?
「たしかに地域によっては別のメーカーや商品名が入ったおけも一部で出回った例もあったようですが、全国に普及したのは『ケロリン』だけ。維持費や手間が大変ですし、なんといっても先行できた強みが大きいからではないでしょうか」。笹山さんはこう分析する。
睦和商事は事実上、山浦社長1人で切り盛りしており、ほかの広告を請け負うための時間的余裕がなかったことも原因だったようだ。
おけの頑丈さも一役買った。
ポリプロピレン製の「ケロリンおけ」は耐久性に優れ、腰掛けとして使っても壊れることはない。「普通に使えば10年は楽勝でもつでしょう」と笹山さん。「永久おけ」とも呼ばれているほど。だから、おけが長持ちするので、いったん全国の浴場市場を独占したら、それを覆すのはなかなか難しいというわけだ。
文字はインクを内部に埋め込む特殊技術「キクプリント」で印刷されており、使っていても薄くならず、長期間の広告効果が期待できる。コスト面の安さに加え、こうした利便性が銭湯の経営者に強くアピールし、全国に広がったのだ。
銭湯の減少続く、販路開拓に注力
とはいえ、全国の銭湯は一般家庭での内風呂の普及や燃料費の上昇などを背景に減少の一途をたどっている。厚生労働省の統計によると、2013年度の全国の一般公衆浴場(銭湯やスーパー銭湯など)は4542カ所。統計を取り始めた1977年度の1万6866カ所の約3割の水準まで減少した。
こうした事情を踏まえ、内外薬品は全国の温泉、ホテル、旅館、レジャー施設への販路拡大に加え、お土産やノベルティー商品などとしての店頭販売や通信販売にも力を入れている。
存亡の危機にひんした「ケロリンおけ」
長い歴史を持つ「ケロリンおけ」が存続できるかどうかの危機にひんしたこともある。
2012年11月。内外薬品東京支社長だった笹山さんは、睦和商事の山浦社長からこんな打診を受けた。「私も高齢だし、後継者もいない。睦和商事を廃業したい……」。笹山さんが子どもの頃から、山浦社長とは家族ぐるみの付き合いが続いていた。「ケロリンおけ」は山浦社長の地道な営業努力で成り立っていたビジネスモデルでもあった。
「もう潮時かもしれない。時代の流行に任せてやめたらどうか」。社内の一部ではそんな声も出たというが、様々な可能性を議論した結果、「やはり『ケロリンおけ』はかけがえのない我が社の財産。睦和商事から内外薬品が事業を引き継ぎ、全国に普及した『ケロリンおけ』を何とか維持していこう」という結論に至ったという。
「テルマエ・ロマエ」「ケロロ軍曹」……
2012年4月から公開された阿部寛さん主演の映画「テルマエ・ロマエ」に「ケロリンおけ」が日本の銭湯文化に欠かせない小道具として登場したことも事業存続の力強い後押しになった。
映画は古代ローマの風呂設計技師が現代日本にタイムスリップし、日本の風呂文化と出合うという奇想天外な筋書き。昔ながらの日本の銭湯文化を見直す風潮もあり、外国人にも愛好者が増えている。「ケロリンおけ」はこうした「クール・ジャパン」の一翼も担っているわけだ。
生誕50周年を迎えた2013年。人気マンガ「ケロロ軍曹」とのコラボおけ(税抜き1300円)も誕生した。黄色いおけの底に敬礼する「ケロロ軍曹」のイラストや「ケロリン」「頭痛・歯痛に侵略」「内外薬品」などの文字が印刷されている。
誕生のきっかけはツイッター。「ケロリンおけ」と「ケロロ軍曹」のアカウントがよく似ていたため、フォロアーが商品化を提案。それを受ける形で「ケロロ軍曹」を出版する角川書店と内外薬品が交渉を進め、実現にこぎ着けたそうだ。このほか「ケロリンおけ」をモチーフにしたタオルやバスマット、ストラップなども雑貨店や通販などで販売しており、愛好家や若者らに人気を博している。
「『ケロリンおけ』は長い間広告効果が期待できるし、映画で取り上げられるなど一般への知名度も想像以上に大きい。事務作業は色々と大変だが、頑張って続けたい。ただ銭湯の数が減っているのはとても残念。時代の移り変わりは仕方がないが、人情味があふれ、地域コミュニティーの中核を担ってきた日本の銭湯文化は何としてもなくなってほしくはないですね……」。笹山さんはそんな使命感も感じている。
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