楠瀬喜多 不平等の疑問 とことん追求ヒロインは強し(木内昇)

土佐の高知に「はちきん」という言葉がある。快活でさっぱりした気性、でも言うべきことは言う、そんな女性を指すらしい。この地で今なお「民権ばあさん」として語り継がれる楠瀬喜多はまさに、はちきんの典型に思える。

イラストレーション・山口はるみ ■天寿まっとうまで演説活動 1836~1920年。土佐藩に生まれる。1857年、藩の剣術指南役を務める楠瀬実のもとに嫁ぐ。74年、実と死別後、高知唐人町の戸主に。投票権に関する訴えを起こしてのちは、立志社が毎週土曜日に開いていた演説会にも出席。政治的な知識を蓄えていく。投票権を得たのち、なおいっそう政治活動に身を投じ、民権集会で演説をするなど84歳で天寿をまっとうするまで活動を続けていった。

幕末に米穀商の娘として生を受け、二十一歳のときに土佐藩士・楠瀬実のもとに嫁いだ。十七年後、夫が亡くなると戸主として家を守るようになる。時代は明治へと移っており、新政府による機構改革の一端で、高知でも選挙制度が施行されていた。戸主には等しく、小区議員選挙の投票権が与えられている。

ところが、喜多は投票できないのだ。なぜなら女だから。国政参加を求める婦人参政権運動が盛んになったのが大正デモクラシー前後と考えると、明治初期の当時、政治に関して男女同権を訴える者は皆無に等しかったろう。しかし喜多は内に湧いた疑問を払拭できなかった。

「戸主として税金を納めているのに、なぜ自分にだけ投票権がないのか?」

彼女はすぐさま、投票権を求める旨を県庁に上申する。それがあっさり却下されると、意外や「ならば税金も払わん」と強硬手段に出るのである。役人たちの高圧的な督促もなんのその、「税金を払って欲しくば、投票権を与えんか!」と一喝。さらには「男子には徴兵の義務があるが、婦女にはない。だから男子にのみ投票権があるのは当然だ」と役人らが諭してくれば、「しかし男子でも戸主ならば徴兵の義務を免れているのだから、そんな道理に服するわけにはいかん」と追っ払う。惚れ惚れするような切り返し。それだけ制度を学んで頭に入れていたのだろう。

議論はしかし堂々巡り。痺れを切らした喜多は、小役人じゃ話にならんとばかりについに内務省への直訴に及んだ。このときの書面が当時の新聞に紹介されている。

「私儀婦女の身分に候えども、一戸の主に候上は諸般の務め且つ政府よりのお取扱をも男女同じき権あることは喋々しく言うをまたざる義」

新聞はその意気を評し「恰(あたか)も弁財天が男神の中に一人在(いま)すが如く」などと書き立てた。再々の運動に高知県令も屈せざるを得ず、最終的に女性初となる投票権を喜多に与える。「おかしいことはおかしい」という素直な思いが原動力となり、世の中を動かしたのだ。当たり前にまかり通っている不可解な決まり事に対し、しがらみも体裁も取っ払って、腑に落ちるまで追及し続けた根気と胆力こそが、彼女の素晴らしさなのである。

今や投票権どころか女性議員も珍しくないわけだが、先般の団扇(うちわ)問答などを見るにつけ、それが政治的手段だとわかっていても、少々複雑な心持ちになる。現政権を追い込むにしても、もっと本質的議論を聞きたかった。男女同権というのは、女が男と同じやり方をなぞれますよ、という権利ではない。同じ目的地を目指していても、あなた方のやり方でいかようにも道を選べますよ、という自由を指しているはずなのだ。

[日本経済新聞朝刊女性面2014年11月8日付]

木内 昇(きうち・のぼり) 67年東京生まれ。作家。著書に「茗荷谷の猫」「漂砂のうたう」(直木賞)「笑い三年、泣き三月。」「ある男」など。