気づけば刷り込まれていた“お母さん的な物語”

――子どもと一体化してしまうような状態だったのが、今は保育園に預けて仕事をしていらっしゃる。どういうふうにご自身を納得させたのですか?

完全に納得してるかっていうと、よく分からないなあ。預けないと仕事ができないから、預けてるって感じなのかも。今の時代、女性も自立してちゃんと一人でも食べていけるようになりなさいと言われますよね。実際、今は結婚してもどちらかの稼ぎでどちらかを養うのが構造上難しいし、共働きでやっていくのは、もう常識。でもそうは言っても、女性が社会に出るとき、男の人と同じ条件ではないですよね。

その一方で、子育てにおいてかけがえのない時間を子どもと過ごしたいと強く思う男性もいると思う。だけど男性が育休を取ることはやっぱりまだまだ珍しいし、社会の構造、就労態勢がそれを許さない部分が大きいじゃないですか。育児に関して、働く男女はそれぞれにしんどさがありますよね。

作家という賃金面では男女差がない職種であっても、精神面では差はあります。たとえば、私が出張した場合、ほとんどの場合「赤ちゃんは誰が見ているの?」と聞かれます。でも、赤ちゃんがいる男性作家が聞かれることはほぼない。聞いた人には、もちろん悪気はないんですよ。でも、子どもを預けて仕事をしていることにうしろめたさを感じているときに聞かれたら、グサッとくるわけです。男女が同じように働くようになれば子どもに対しても対等なはずなのに、世間からの刷り込みはそう簡単に変わらないんですよね。

直接仕事にかかわることじゃなくても、世の中で言われている「お母さん的物語」にも、けっこうあれこれ悩みました。たとえば「3歳児神話」。3歳まで子どもはお母さんと一緒にいたほうがいいとか。世の中で言われている「お母さん的な物語」に、私は本当にがんじがらめだった。

産後から1年間は、余裕はきっとないけれども、世間で当たり前と言われているいろんなことをちょっと一人の時間に1個1個外してみるのはすごく大事だと思いました。自分こそが、スタンダードだと考えていいくらい。

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「こうありたい」自分像はどこから輸入したんだっけ?