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「歌う」から「演じる」へ意識を変える オペラのワークショップが成果

2014/8/28

ジュゼッペ・ベルディの「椿姫(ラ・トラビアータ)」のビオレッタ、ジャコモ・プッチーニの「ラ・ボエーム」のミミ。イタリア歌劇の二大傑作のヒロインは、ともに最終幕で死の床に伏し、長い長い愁嘆場の果て、真実の愛に包まれて昇天する。昔は頑丈そうなソプラノが舞台中央に置かれた立派なベッドに横たわり、アリアで堂々と両手を広げて自らの死を嘆き、巨木が倒れるように唐突に死んだ。歌さえ良ければ問題ない時代だった。

■孤独の中で死んでいくコンビチュニーの「椿姫」

しかし20世紀初頭のドイツ語圏を発祥とする近代音楽劇場(モデルネス・ムジークテアーター)では、歌手の立ち居振る舞いにも演劇の俳優と同じ水準の緻密さを求め、歌詞と音符の関係をとことん究める。オペラ輸入国の日本では、歌手たちがオペラに適した「ベルカント」の発声を覚え、母国語とかけ離れたイタリア語、ドイツ語などで歌うまでの過程に相当のエネルギーを費やす。リアルな演技はもちろん、背景に横たわる時代精神や宗教観、それぞれの文化圏の演劇の伝統などに目を向けるゆとりは今まで乏しかった。

遠い昔の絵空事だったオペラの舞台に現代社会との「闘争」を持ち込み、歌手を「生きた人間」として動かす--。ドイツのムジークテアーターを代表する演出家、ペーター・コンビチュニーが2009年から6度にわたって指導した「コンビチュニー・オペラ・アカデミー」は日本の若い歌手、演出家に激烈な意識改革を求めてきたワークショップだった。

P・コンビチュニー演出の「椿姫(ラ・トラビアータ)」第2幕。ビオレッタ(宮沢尚子、手前)に息子との別れを迫る父ジェルモン(砂場拓也、後方)との間に妹役の俳優(南美里)がからむ。(写真提供=公益財団法人びわ湖ホール)

アカデミーは1度だけ東京で開かれ、残り5回は滋賀県立芸術劇場・公益財団法人びわ湖ホールの主催で続き、今年7~8月の「椿姫」が最終回となった。8月8日、同ホールのリハーサル室で行われた最終日の通し上演はコンビチュニーの徹底した性格描写と、若い歌手たちの目覚ましい演技や歌とがかみあい、まれにみる白熱の時間と空間を生んだ。

中でも印象に残った場面が2つ。全曲の中で明らかに音楽が頂点を築く第2幕、恋人アルフレード(前川健生)の父ジェルモン(砂場拓也)が娘の縁談を引き合いに出してビオレッタ(宮沢尚子)に息子との離別を迫る二重唱の場面には、妹役の俳優(南美里)を登場させた。最初はおびえていた妹が次第にビオレッタへ心を寄せ、父親のエゴに背を向けていくプロセスが克明に描かれ、時間と心理の変化が具体的視覚として客席に伝わる。

そして幕切れ。がらんとした空間、ベッドではなく床に置き去りにされたビオレッタ(中村洋美)の孤独は凄絶だ。死の瞬間にはアルフレード(水口健次)、ジェルモン(西條智之)、侍女アンニーナ(乾ひろこ)、医師グランビル(五島真澄)の全員が客席に回り、ビオレッタ1人が別の世界へ旅立っていく。1幕の有名な「乾杯の歌」でも、周囲の遊び人集団から激しく浮くオタク青年のアルフレード(島影聖人)だからこそ、逆にビオレッタ(小村朋代)の目に留まる図式をきっちり示すことができ、みる者を納得させる。

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