音声の「気恥ずかしさ」は何なのか

渡辺将基・新R25編集長

渡辺 僕はだいぶ慣れてきましたけど、音声ってなぜか「気恥ずかしさ」みたいなのがあるように思うんですよ。僕は新R25で動画もやっていますけど、動画とはちょっと違った気恥ずかしさがある。動画も恥ずかしいのは恥ずかしいんですけど、声の気恥ずかしさとはちょっと違うような気がします。あれって何なんだろう。感情とか知性の有無が、そのまま出ちゃうことへの怖さなのか。

緒方 例えば、人前で壇上に立ってしゃべらなくちゃいけないときに、会場が真っ暗で、何も見えない状態でしゃべるのと、明るくて相手の顔も自分の顔も顔が見える状態でしゃべるのとでは、声だけの方が恥ずかしいような気がしますね。

渡辺 そうそう。

緒方 それって、中身まで全部届いてしまうような気がしちゃうからでしょうか。顔や表情、ジェスチャーを見ながら聴いてもらうのとはだいぶ違う。

渡辺 視覚が入ると、見えるものも含めた全体で評価されるんだけど、音声の場合は、しゃべっている内容と声だけで評価される感じがします。もちろん、見た目を考えなくてもいいので、音声だけの方が発信するのは間違いなく楽なんだけど、慣れるまでは気恥ずかしさがありますね。そこを超えられるかが、これから日本人に音声の発信が浸透するかを分けるポイントになるかもしれませんね。

ティックトックでは表現できない

緒方 渡辺さんは、SNS(交流サイト)や動画、音声など、さまざまなプラットフォームを活用するとき、長期的に考えて「将来これが伸びそうだ」と思って選ぶんでしょうか。それとも、「今、これが盛り上がっているからとりあえずやってみよう」と思って選ぶんでしょうか。

渡辺 うーん、そこは難しいところですよね。個人的な好みだと、世の中の「はやり」より、ちょっと遅れて乗っかっていくという感覚が強いです。先取りはしないというか。

ただ、自分たちの強みはちゃんと言語化しておいて、そこが弱くなりそうなところには入っていかないようにしています。例えば、僕らが作っているコンテンツの世界観は、TikTokみたいな短いものでは表現しにくいと思います。もし僕たちがティックトックを使うのであれば、世界観を表現するためではなく、あくまでも僕らの世界観を表現できているコンテンツに「誘導するための道具」として使うという感じでしょうか。

緒方 世界観を大事にされている感じは伝わります。動画での出し方と、文字での出し方で、意識的に変えているところはありますか?

渡辺 変えているところはないんですが、その前に、自分たちの良さ、自分たちが大事にしていることを、できるだけ抽象度高く定義しておく必要があると思っています。あんまり具体的に言語化してしまうと、そこから外れたことができないので、チャレンジがしにくくなってしまう。抽象的であれば、新しい手を打ったり、挑戦したりできる幅が広がるじゃないですか。どんどん新しいツールやプラットフォームが出てくる中で、そこは気をつける必要があると思っています。

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