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「 人生ゲーム」は1968年以来67作を数える

「 人生ゲーム」は1968年以来67作を数える

ボード(盤)ゲームで日本有数のロングセラー「人生ゲーム」(タカラトミー)。1968年に米国版を翻訳したのが最初だが、その後も改良を重ねて戦後のおもちゃ史に残る存在となっていった。バブル経済崩壊から「失われた30年」を経た平成から令和へと移りゆく時代に合わせて、ゲームの盤面に「社会の変遷」を取り込んできた。そこに見えるのは、おもちゃのロングセラーづくりに心血を注いできた創業以来のDNAだ。

「人生ゲーム」シリーズは発売から53年目を迎えた。これまで発売された67作品のうち、時代を画す大きな転機となった作品が2つある。1つは83年に初めて、日本発のオリジナル商品として開発された「3代目」。もう1つが、89年発売の「人生ゲーム平成版」だ。

「68年に米国版『THE GAME OF LIFE』の翻訳ものとして発売された人生ゲームは、60~70年代には『アメリカの香りがする』ことが人気の背景にあったと思います。しかし、80年代に入ると『アメリカンゲーム』という名称を使わなくなったそうです」

タカラトミーで人生ゲームを担当するエデュテイメント事業室マーケティング課の池澤圭さんはこう説明する。

戦後は米国の文化的影響を強く受けてきた日本だが、ベトナム戦争が終結した70年代には米国の文化を冷静に受け止め始めるようになっていた。一方、おもちゃを含む娯楽・エンターテインメントの業界では新しい波が起こり始めていた。

「80年代は電子ゲームの時代でした。あまりの人気に、ボードゲームなどの販売にも影響が出始めていました」(池澤さん)

電子ゲームの台頭に押され、大人マーケットを開拓

大旋風を巻き起こした1978年にタイトーが発売したアーケードゲーム機「スペースインベーダー」を皮切りに、80年には任天堂が携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売。子供から若者たちの関心は電子ゲームへと急速にシフトしていった。

アナログゲームとしての巻き返しを期して、タカラトミーの前身であるタカラは米国版とは別に、独自のリニューアルを決めた人生ゲームが「3代目」だったのだ。狙いは、日本風の"味付け"をすることで、米国文化にさほど興味を示さなくなった子供たちを取り込むことだったといえる。

ゲーム盤面のマス目には「お世話になった人達にお歳暮を送る」「正月休みに4泊5日のスキーツアーに行く」「先祖代々の土地を売る」など、日本の文化・習慣を反映した語句が採用された。「職業にも当時の子供たちがあこがれたデザイナー、アイドルスター、パイロットなどが採用されました」(池澤さん)。

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