――ご自身は仕事の装いで相手を意識することはないのですか。
「相手というよりオケージョン(機会)を考えます。パーティーには当然、キメた格好で行きますし、ここぞという時に着るフルオーダーのスーツも持っています。そしてパーティーに主役がいれば、主役より目立たない服装にしますし、主役が背が低い方でしたら、写真撮影の時には少ししゃがみます。オケージョンを考えない格好やふるまいは哲学のなさの現れ。配慮や敬意というのはファッションに必要な要素でしょう」

アンダーアーマーとの出合い 機能に衝撃
――1996年に起業する前は4年間、三菱商事に勤めていらっしゃいました。商社マン時代はやはり、スーツが多かったのですか。
「スーツを買わざるを得ませんでしたね。大きな体の僕に合っていたのがジョルジオ・アルマーニです。インポートブランドが全盛の時代でしたので、エルメスやプラダといったラグジュアリーブランドもずいぶん買いました。でも1~2年着ると飽きてきちゃって……」
――華やかなファッションからシンプルな服へと転向したのは、何がきっかけでしたか。
「商社を辞めて起業し、創業2年目の98年に偶然、アンダーアーマーを知ったことです。当時僕は会社経営とともに、アメフトのコーチをやっていました。米プロフットボールNFLの下部組織であるNFLヨーロッパのプロコーチとして派遣される機会を得て、欧米に遠征したときに、選手が着ていたんです。シンプルなカッコよさにびっくりして、伸縮性や汗がすぐ乾くという機能も衝撃でした。自分が着たい、後輩に着せたい、そう思って当時の社長、ケビン・プランク(現会長)に連絡し、意気投合して契約を結びました」
「感じた印象はF1マシンみたいな服。F1マシンは直線やコーナリングを速く、ブレーキングを鋭く、という機能を突き詰めてあのカッコいい形になります。そんな本質を発見して、自分の服の見直しを迫られた、といいますか……。僕にとってのファッションは着飾ることではない、どんどんそぎ落としていくことだと、考え方が完全に変わったんです」

――もともとおしゃれはお好きでしたか。69年のお生まれで、ファッションの多様性を身をもって体験した世代では。
「相当、いろいろなファッションに手を出してきました。小学校高学年から中学くらいのときは、年上のいとこがプレッピーやアイビーを楽しんでいて、自分はスポーツブランドに憧れました。アイドル雑誌の『明星』や『平凡』が流行の発信源で『ナイキ コルテッツナイロン』『アシックス スカイセンサー』なんかがおしゃれなスニーカーだと紹介されていたのを覚えています」

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