中小企業向け営業部隊のリーダーとして市場を開拓。中小企業の街として知られる大阪府東大阪市の金型メーカーや卸とも、積極的に付き合った。その代表的な事例が、特殊ネジを扱うツルガだ。2代目の社長はネットを活用して顧客を開拓し、同社には様々な企業から特殊ネジの試作品の開発依頼が殺到した。ただ、人材不足のためパート従業員に依存していたため、人の入れ替わりが激しく機会の損失を招いていた。福田さんは「うちのCRMを導入して業務フローを改善した。人が入れ替わっても一目で業務の優先度が分かり、売り上げの大幅増につながった」と明かす。ツルガの事例は経済産業省で評価され、メディアでも次々取り上げられた。中小企業へのCRM導入でロールモデルが誕生した。

小さな頃からコンプレックスだらけだった

セールスフォースで10年、数々の企業の営業プロセス改革を支援して福田さんは「SaaSの伝道師」「デジタル営業の改革者」と呼ばれる存在になった。ただ、福田さんは「営業が嫌だったし、英語も嫌い。出世もしたくない人間だった」と話す。どんなキャリア人生を歩いてきたのか。

出身は広島市。子供の頃は少年野球に夢中になっていたが、友人に誘われるままに進学塾に通い、中高一貫の名門校である広島学院中学・高校に進学した。1学年の生徒は約200人で大半が東京大学や京都大学、国公立大学医学部を目指す中国地方有数のエリート校だ。「本の虫」だった福田さんは国語はずば抜けてできたが、数学や英語は苦手。一時はプロゴルファーになろうと、ゴルフ練習場でバイトをした経験もある。真面目な優等生の多いカトリック系高校では、変わり種だった。

「子供の頃から失敗や挫折だらけ」と振り返る福田さん

そうしてコンプレックスを抱えたまま早稲田大学に進学。「大橋巨泉やタモリら早稲田出身の異端児に憧れた。4年で卒業するなんて格好が悪い。1年間世界を放浪するわ」と家族や友人に告げて海外に出た。勇んでエジプトに行ったが、わずか1カ月でホームシックにかかり帰国。誰にも語らず、東京でバイト生活を送った。1年留年して成績はガタガタ、就職活動も悪戦苦闘した。

そんなとき、大学の就職支援の窓口で目にしたのが日本オラクル。名前も知らなかったが、「世界第2位のソフト会社の日本法人」という説明書きに引かれた。「これなら田舎の家族も納得するだろう」と1996年にオラクルの門をたたいた。

同社はデータベース管理ソフトの外資系IT企業で、社内はエンジニアだらけ。福田さんは「データベースとは何かも知らなかった。同期に米国の大学院出身者がいて彼は英語がペラペラだったが、こちらはITも英語もダメ。再びコンプレックスにさいなまれた」と打ち明ける。

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