後継者は誰? 「まだ言えない」

「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」の後継者を誰にするか? これは職業上の秘密だから、まだ言えない。僕が死んだら誰が残るのか、やってくれるのか……。僕もバカじゃないから、フェスティバルを始めた時から考えている。僕が「可能性がある」とみる指揮者をゲストに呼び、サイトウ・キネン・オーケストラの仲間とコンサート、オペラを一緒にやってもらう姿を見ながら、考える。

例えば昨年は僕がオペラを振って、コンサートには大野和士さんを招いた。今年は僕がコンサートで、ベルディ最後の傑作オペラ「ファルスタッフ」の指揮は最適と思われるイタリア人指揮者、ファビオ・ルイージに無理をいって頼んだ。来年は僕がオペラ。コンサートはデンバーの音楽祭で監督を務めるアメリカの天才的指揮者、ロバート・スパーノにお願いする。今はこれ以上、話せない。

音楽では絶対、まず生(なま)を聴いた方がいい。演奏している人の顔が聴いている人と同じ空間の中で見えて、電気を通さず耳に音の届くことが大切だ。ピアノを習っていた小さいころ、東京・四谷の聖イグナチオ教会の中に入り、生まれて初めてパイプオルガンの音を聴いた。ペダルトーンという低音の連続が聖堂中にガンガン鳴り響き、ぶっ飛んだ。日比谷公会堂へN響(NHK交響楽団)を聴きに出かけた時はレオニード・クロイツァーだったか、指揮だけでなくピアノ独奏を兼ね、ベートーベンの「ピアノ協奏曲第5番『皇帝』」を演奏するのに驚き、とりわけピアノの音に、やはりぶっ飛んだ。

最初の音楽とは、「どの曲を聴くか」ではなく、そのような体験なのではないか。

「4人の偉大な先生」との出会い

僕自身は非常に恵まれていて、4人の偉大な先生と出会えた。最初は斎藤先生。次は海外に出て、ボストン交響楽団の音楽監督だったシャルル・ミュンシュ先生。もっとも当時、僕がやがてボストン響を率いることになるなんて、考えてもみなかった。その後2年半、ニューヨーク・フィルハーモニックでレナード・バーンスタイン先生のアシスタントを務めた。最後はベルリン・フィルのヘルベルト・フォン・カラヤン先生。コトバ(外国語)も今よりずうっと下手で、西洋の音楽事情を何も知らないままベルリン、ザルツブルク……と、あまりに早くデビューしてしまった僕のことが心配でたまらなかったらしく、最期まで弟子と思ってくださった。カラヤン先生が亡くなった時、アメリカからザルツブルクへ飛び、ウィーン・フィルを指揮してバッハの「アリア」で先生を追悼した。4人の師に、望んでも出会えるわけではない。僕は本当に幸福だった。

僕は「天才」ではない。みんな笑うけど「努力家」です。病気になる前まで何十年間、朝まだ皆が寝ている間に起きて、勉強を続けてきた。勉強は苦手だけど、音楽家の努めとして、しなければならない。「ちょっと天才」なら、いとも簡単に僕のことを抜ける。先日亡くなったロリン・マゼールさん、斎藤門下の盟友だった山本直純さんは本当の天才だった。マゼールさんは僕の5歳上でしかないのに、受けたコンクールの審査員だった。

残された時間に何をするか? 天才でない僕は「なるべく死なないで、一生懸命やるしかない」と答える。そして、次の人を生み出す。音楽祭の名称を変えたくらいで、内容まで変わるということは、音楽の世界ではありえないと思っている。

(電子報道部)

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