音楽の気持ちよさを伝えたい

だから今回の(松本の)件は言われてみて、「なるほど」と反応できた。実は名称変更のミーティングは3年前の3月11日、まさに東日本大震災の日の午後1時から、フロラシオン青山というホテルで行っていた。話が終わりかけた時にグラリときて、前の道に避難したことをよく覚えている。急に言われた名称変更では、ありません。

「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」への名称変更を発表するサイトウ・キネン・フェスティバル松本実行委員会の神沢陸雄実行委員長(8月4日、日本外国特派員協会で)

このところ「今にも死にそうな」とか「いや、まだ死なない」とかいわれてきた僕が改称の話を受けたので、「どうかしたのか」と思った人もいるだろうが、本人は納得している。大病して手術をした人が「死ぬ」ことをしゃべるのは、相当元気になった場合か、ただのバカか、どちらからしい。僕は元気になった方だと思って今、少しずつ(音楽祭のことを)やっている。サイトウ・キネンと松本市との出合いは、本当に運命的だった。

世界中、いろんなことが起きているけど、僕たちが信じたいのは、音楽は昔から、人の心に一番早く伝わる芸術ということ。絵は目から、彫刻は触ったり見たりで理解するから似ているかもしれないが、文学だと先ず字が読めて、さらに理解しなければならない。音楽は耳が動いている限り、直接はいってくる。大バッハもオーケストラも歌も、さらにポップス、ジャズ、ロックのどれをとっても、それなりにポンと、はいってくる。この良さをずうっと大事にして、もっと多くの人々にわかってもらわなければならない。

ド、ミ、ソという3つの音が鳴るだけでハーモニーが生まれ、どんな人でも気持ちがよくなる。最近はあんまりやる人がいないらしいけど、お風呂の中で歌うとすごく響いて、どんな下手な人の歌でも上手に聞こえる。この気持ちよさを、多くの人に伝えたい。

僕の兄貴分だった(ムスティスラフ)ロストロポービチという、もう亡くなってしまったけど、素晴らしいチェロ奏者がいた。ロストロポービチも、僕たちの音楽を聴いたことのない人のそばまで出向き、伝えたいと考えて「セイジ、一緒にキャラバンに行こう」と言い出した。チベットやシベリアの名を挙げるので「いや」と言ったら「じゃあ、日本で」となって、少人数のキャラバンに出かけた。一切のPRをせず、いきなり田舎に出かけるので、最初の聴衆は5人、いい線いって30人、最大の成功?は100人だった。初めてクラシック音楽を聴く人々の顔を見ながら指揮していた時、「これだっ!」と思った。音楽の力が伝わる瞬間だった。

アジアの若い学生、音楽塾で伸ばす

最近は一歩進め、「教育」に力を入れている。教育という言葉自体は、あまり好きではないのだけど……。「ヘネシー・オペラ・シリーズ」というスポンサー付きのオペラ企画が約10年で終わり、次のスポンサーを探す過程で京都の電子部品メーカー、ロームの創業者・佐藤研一郎さん(現名誉会長)と知り合った。2人で話しながら「やろう!」と決めたのが、オペラを中心とする小澤征爾音楽塾だった。ヘネシーのシリーズと同じく、歌手は僕が世界の一流を集めるが、オーケストラはアジアの若い音楽学生だ。若い学生に声を聴かせながら伸ばす発想だったが、実際、すごく伸びた。

もう一つは斎藤先生の遺志を継ぎ、長野県の奥志賀で続けてきた室内楽講習会。これも今は「小澤国際室内アカデミー奥志賀」と名を改めた。同様のセミナーをスイスでも立ち上げ、「セイジ・オザワ・インターナショナル・アカデミー・イン・スウィッツァーランド」と名付けた。もはや、僕の名前をつけることに慣れてしまったんだな。

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