グルメ化の波はコーヒーにも
コロナ禍にあって、この特異なスタイルの店が順調に滑り出したのも、決して物珍しさからだけではない。近年のブームなどを経て、この国にコーヒーの「ガストロノミー(美食)化」「グルメ化」を受け入れる素地がようやく固まってきたからだ。國友さんはそう分析する。
「グルメ化はある意味、食の本質です。おいしいものを口にしたら、もっとおいしいものが欲しくなる。市場が成熟すれば、なぜそれにお金を払うのか、という『意味』を強く意識する人も増える。コロナ禍でその傾向は強まっているかもしれません。コーヒーも例外ではなく、店でも自宅でも、こだわりの対象としての存在感が大きくなった。新しい味の体験を求めるお客様も増えていると実感します」
國友さんの言葉を借りれば、コーヒー市場はターニングポイントを迎えている。そこで重要な役割を担うのが、バリスタなのだという。今までにない高付加価値のサービスと商品を、お客に納得して受け入れてもらえるかどうかは、バリスタの腕次第だからだ。
「私はロースター(焙煎業者)はメーカーで、バリスタはシェフだと考えています。バリスタは様々な焙煎豆の中からいい素材を見極め、それを調理し、お客が喜ぶ最終製品にして提供する。高い抽出技術に加え、ブレンドの腕前やお客の好みを探るカウンセリングと接客能力、ペアリングなどの演出力も求められる。『表現者』としてのセンスと力量が問われる職業です」
小規模な自家焙煎の喫茶店はともかく、日本の著名なカフェの多くは、自ら豆を焙煎するロースターでもある。いうなればメーカーとシェフの機能が融合した事業体として、味わいの表現を追求しているわけだ。また、腕を上げたバリスタの中には、表現の幅を広げようと焙煎技術の向上に関心を寄せる人もいる。だが、この点、國友さんは徹底した分業論者だ。
「私たちは豆の焙煎はしません。なぜなら、表現の幅が、自分たちが焼く豆の範囲に限定されてしまうからです。また、ロースターは生産者と関係を深め、豆に日々向き合って焙煎の技術を磨かねばならない。バリスタとはまったく別の職業で、一人の人間がこの二つを両立させるのはとても無理だと思う」
時代の転換期において、コーヒーの新たな可能性を消費者に紹介し、市場を切り拓(ひら)くバリスタの存在価値を、今こそ広く認知させたいと國友さんは考える。それはバリスタの現状に対する危機感の裏返しでもある。
「日本では職業としてのバリスタの歴史が20年程度とまだ浅く、抽出マシンのオペレーター程度の認識にとどまる人もいます。せっかくキャリアを積んで腕を磨いても、現場ではそれに見合う付加価値を価格に乗せてもらえない。10年選手のバリスタが淹(い)れても、5カ月のアルバイトが淹れても、店では1杯が同じ500円ですから。このままでは、バリスタは安い人件費とオートマチック化の波に飲み込まれてしまう」
これは世界共通のバリスタの悩みでもある。相応の対価を得ながら、自らの技術を発揮し続けられる進路を模索するベテランは少なくないという。
現在、嗜好品研究所が抱えるバリスタは13人。様々なバックグラウンドを持つ面々が、自らの腕を恃(たの)みに集っている。「これまでは優秀なバリスタが技術をアウトプットする場が限られていました。私の役目は、彼らが存分に活躍できるステージ(舞台)を用意することです」。その舞台の一つが、カケルなのだ。