五輪メダル候補の日本選手 なぜ早々に敗退したのか?
数々の五輪選手を指導しているフィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一さん。今回の東京五輪で、メダル候補とされていた日本人選手が早々に敗退してしまうシーンが目立ったことに関連して、アスリートが大きな大会に向けて行う調整の難しさと、メンタルヘルスの問題について解説していただきます。
メダル候補が早々に敗退するのは重圧のせい?
40代のスポーツ観戦好きの男性です。
コロナ禍で賛否両論の中、開催された東京五輪は、さすが世界のトップ選手が一堂に会する大会とあって、連日ハイレベルな試合を堪能しました。
ただ、メダル候補と目されていた日本の選手が、早々に敗退してしまうシーンが目立ったことが気になりました。
やはり五輪のような大きな大会で選手にかかる重圧というのは、特別なのでしょうか? 五輪選手も指導しているフィジカルトレーナーの中野さんにぜひ聞きたいです。
自国開催で実感したメディアの過熱ぶり
私はこれまで、いくつもの五輪大会にわたって、何人もの選手を指導してきました。
2012年のロンドン大会、2016年のリオデジャネイロ大会では、出場する選手に帯同し、現地にいました。
ですから、今年の東京大会では、「五輪一色」ともいえる日本の報道に驚きました。こんなにメディアが五輪について熱狂的に報道しているとは知らなかったのです。
テレビは終日、日本人選手の試合をリアルタイムで中継するだけでなく、夜にはその日の試合のハイライトを放送します。新聞もウェブメディアもそしてSNSも、五輪情報にあふれ、その過熱ぶりに抱いた感想は「スゴイ」の一言でした。
ロンドンやリオでは、当然ですが、現地のメディアで取り上げられるのは開催国の選手が多く、日本人選手の試合がテレビで放送されたり、活躍がメディアに大きく取り上げられたりすることはありません。日本の様子もまったく伝わってこなかったため、「ひょっとして、日本ではまったく盛り上がっていないのでは?」と感じるほど、選手の周囲は静かでした。
そのため、東京大会は「ホーム開催」というアドバンテージがある一方で、選手にはいつも以上に「絶対に結果を出さなければいけない」というプレッシャーがあったと思います。特に確実にメダルが狙えるといわれる選手にかかる重圧は、ものすごく大きかったことでしょう。
トップ選手でもなぜ「調整がうまくいかない」のか?
期待されつつも結果を出せなかった選手について、テレビ放送などでは「調整がうまくいかなかったのかもしれません」などと解説されたりします。
確かに選手たちは、大事な試合に自分の調子のピークが来るように調整を行います。しかし、人間の力で意図的に、大事な試合のある当日に体調が最高潮になるようピタリと合わせるのは、非常に難しいことです。
例えば、趣味がランニングで、市民マラソン大会にも出たりする方であれば、大会本番の日に、風邪を引いたわけでもないのになぜか調子が悪いな、と感じた経験があると思います。逆に、前日夜遅くまで起きていたのに、なぜか調子がいいということもあるでしょう。
このように、「調子」というものは、なかなかコントロールできないものなのです。鍛え抜かれたスポーツ選手であればうまく調整できるだろうと思うかもしれませんが、大きな国際大会ほど、さまざまな環境の変化やプレッシャーもあり、調整はさらに難しくなります。
本番に強いといわれる選手は、何回も大きな大会を経験する中で、自分なりにピークを合わせるやり方が分かってきます。これがいわゆる「試合勘」です。
選手たちは、試合に向けて、練習やトレーニングの内容とボリューム、食事の内容やタイミング、睡眠時間など、日々、何が自分にとってベストなのかを模索しています。そして、試合をたくさんこなすうちに、だんだんと「ピークを合わせやすいパターン」が分かってくるのです。
東京五輪に出場した選手たちが最も苦しんだのは、コロナ禍による影響でしょう。大会が1年延期されたうえ、本番までの試合回数も少なく、ピークを合わせるための微妙な感覚をつかみきれないまま、本番を迎えることになったからです。
また、五輪のような海外の大きな試合に出場する場合は、時差や気候などさまざまな条件が自国とは異なるので、1カ月前に現地入りするなどして、試合に向けて慎重に調整を行うこともあります。しかし、東京五輪は自国開催ということもあり、選手によってはほんの少し「慎重さ」が欠けてしまった可能性もあります。
もちろん、卓球の伊藤美誠選手のように、そばで見ていても「この人は本当に本番でも緊張しないな」と感じられるアスリートは、普段通りの実力を大舞台で発揮するのですが、そういう性格の人はやはりまれではないかと私は思います。
選手を守るために、監督は取材を断った
思い出されるのは、リオ大会で担当していた選手です。大会前、彼女はそれほど注目された選手ではありませんでした。それでも取材の申し込みが来ていたのですが、チームの監督はその取材をほとんど断っていました。
私は、有名な選手ではないからこそ、この機会に取材を受けて、多くの人に応援してもらえる環境を作ったほうがいいのではないか、と感じていました。オリンピアン(五輪選手)は国から強化費をもらっているので、メディアを通して自分の姿を見てもらうこと、普段感じている感謝の気持ちを伝えることも、選手の役目の1つではないか、とも考えていました。
しかし、監督になぜ取材を断るのかと聞いたところ、「あまり本人が周囲に踊らされないよう、できるだけメディアに騒がれないまま大会に出て、メダルを取って帰らせたいんだよね。メダルを取ったら、バーッとたくさん取材を受けさせるよ」という答えが返ってきました。
彼女はメンタルが強いほうではなかったので、プレッシャーに押しつぶされないための判断だったのでしょう。今回の東京大会で、メダル候補といわれる選手たちへの報道を見て、当時の監督の言っている意味がさらによく分かりました。
「メンタルヘルス」への理解が進んだ東京大会
東京五輪では、新しい変化がいくつか見られました。例えば、女子体操アメリカ代表のエースであるシモーネ・バイルズ選手が、女子団体決勝で「メンタルヘルス」の問題を理由に途中棄権したことです。
バイルズ選手は記者会見で「メンタルヘルスを第一に考える」と自ら述べました。そして1週間後、種目別平均台の決勝に再び登場しました。
このように、選手のメンタルヘルスの問題への理解が進んだことも、東京五輪の大きな前進です。
私が最も身につまされたのが、女子トランポリン代表の森ひかる選手です。森選手は、2019年に世界選手権で優勝し、東京五輪ではメダルの期待がかかっていましたが、予選で敗退しました。
試合後、森選手は「1カ月前からジャンプが怖くなった」と涙ながらに話したそうです。調子が上がっていないのに、6月にイタリアで開かれた国際大会で優勝し、さらにプレッシャーがかかってしまった。コーチに「もうやめたい」と言ったこともあったそうです。
私は、自分が担当している選手が五輪の本番前に「やめたい」と言い出したら、どんな言葉をかけてあげられるだろうか、と想像しました。
選手1人1人が心身ともに良い状態で試合に臨めるような環境を作ることも、周りのスタッフやメディアがもっと考えていくべきだと感じた今回の東京五輪でした。
(まとめ 長島恭子=フリーライター)
[日経Gooday2021年8月19日付記事を再構成]
スポーツモチベーションCLUB100技術責任者/PTI認定プロフェッショナルフィジカルトレーナー。フィジカルを強化することで競技力向上やけが予防、ロコモ・生活習慣病対策などを実現する「フィジカルトレーナー」の第一人者。元卓球選手の福原愛さんやバドミントンのフジカキペア、プロランナーの神野大地選手など、多くのアスリートから絶大な支持を得る。2014年からは青山学院大学駅伝チームのフィジカル強化指導も担当。早くからモチベーションの大切さに着目し、日本では数少ないメンタルとフィジカルの両面を指導できるトレーナーとしても活躍。『医師に「運動しなさい」と言われたら最初に読む本』(日経BP)などベストセラー多数。
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