2021年8月8日、聖火台の炎が静かに消え、熱戦が繰り広げられた17日間の東京五輪が閉幕しました。私もさまざまな競技をテレビで観戦し、マラソンは現地で選手と同じように北海道の気温や湿度の高さを感じながら見ることができました。
コロナ禍において、選手や関係者には厳しい行動規制が課され、無観客で開催された、異例尽くしの東京五輪。私が一般人であれば、「選手たちは本当によくがんばりました。感動しました。何とか無事に終わってよかった」で済むかもしれません。しかし五輪を経験したオリンピアンとして、今もスポーツに関わり、スポーツで人々が健康で幸せになってもらいたいという思いで活動をしている身としては、それだけで済まされない大会であり、良い・悪いでは語り尽くせないものだと感じています。
何をもって無事だというのか、何をもって成功というのかを、今一度考える必要がある大会だったとも思います。皆さんは、どのように感じられたでしょうか。
新種目・スケートボードの選手の姿に五輪の原点を見る思い
今回の東京五輪で一番心に残ったのは、スケートボードやサーフィンなどの新種目でした。特に10代、20代前半の若い選手たちがメダリストになって一気に注目を集めたスケートボードの選手の姿には、心を動かされた人も多いのではないでしょうか。スケートボードという競技を心から楽しみ、国籍や成績に関係なくお互いを称え合いながら極めてハイレベルのトリックに挑む彼ら・彼女たちの姿を見ていると、晴れ晴れとした気持ちになりました。
それを象徴したようなシーンが見られたのが、日本の四十住さくら選手と開心那選手が金・銀のメダルを獲得した、女子のパーク種目でした。最後に難易度が高いトリックに挑戦して、惜しくも着地失敗に終わってしまった岡本碧優選手に、さまざまな国の選手が駆け寄り、抱きしめ、笑顔で担ぎ上げたのです。失敗を恐れずに自分が理想とするトリックにチャレンジした仲間の勇気を称え、慰め、同じ競技者として支え合う。そんな姿勢をごく自然に行動に移した彼女たちの姿に、ハッとさせられました。
スケートボードの持つ、ライフスタイルの一環のような競技性も関係するかもしれませんが、国を背負っているという悲壮感がまったくなく、高いレベルのパフォーマンスを繰り広げながらも自然体であり続ける10代の選手たちの姿に、スポーツとは何か、五輪とは何かということを改めて考えさせられたのです。
