レゴを倒産危機から救った大人のファン 復活劇の真相
大人たちがプラスチック製ブロック玩具を大量購入し、オリジナルの作品をつくっている――そう聞いたレゴの幹部たちは「首をかしげていました」とパール・スミス・マイヤー氏は振り返る。
スミス・マイヤー氏は2000~14年にレゴで要職を歴任した人物だ。「1990年代後半まで、レゴは大人のファンにそれほど価値があると考えていませんでした。むしろレゴの首脳陣は大人が夢中になることが、かえってレゴブランドを棄損すると考えていました」(スミス・マイヤー氏)
レゴ社内の意識改革に取り組んだ従業員のおかげもあって、現在レゴが大人のファンに困惑することはない。実際、レゴの販売パッケージに「7~12歳の男の子用」と書かれる時代は終わり、「大人も歓迎」が現在のスローガンだ。
現在のレゴは、世界で最も利益を上げている玩具メーカーだ。レゴが頂点に上り詰めたのも、大人のレゴファン(Adult Fans of Lego:AFOL)の熱意と購買力のおかげだ。しかし、「子供用」から「大人も歓迎」までの道のりが長かったことはあまり知られていない。
「レゴは子供用」の固定観念
レゴの創業者オーレ・キアク・クリスチャンセンは、自分の商品を子供だけに販売したいと考えていた。「A Million Little Bricks:The Unofficial History of the Lego Phenomenon(100万個の小さなブロック:レゴ現象の非公式な歴史)」の著者で、レゴの歴史を調査しているサラ・ハーマン氏によれば、1932年にレゴグループを立ち上げたとき、クリスチャンセンは「アヒルのプルトイ、レーシングカー、貯金箱など完全に子供向け」の木製玩具をつくった。
1946年、クリスチャンセンは射出成型機を購入して、プラスチック玩具の製造を開始。そして1958年、息子のゴッドフレッド・キアク・クリスチャンセンとともに、突起と円筒を結合させるブロックを開発する。基本設計は現在もほとんど変わっていないので、発売当時のブロックと現在のブロックを組み合わせることも可能だ。
会社が成長を始めて60年の間、レゴブロックが大人を魅了する商品だと想像できる人はほとんどいなかった。
レゴが本当の自社の商品価値を認識する何年も前から、実際には大人のレゴファン(AFOL)はレゴの収益に大きく貢献していた。20年前、レゴが「スター・ウォーズ」や「ハリー・ポッター」などのヒット映画からインスピレーションを得たセットを販売し始めたとき、すぐに飛び付いたのは大人のファンのほうだった。
テクノロジーを中心としたカルチャー誌「Wired」に、「レゴ史上最も売れた商品」と紹介されたプログラミング可能なロボット「マインドストーム」(1998年に最初のモデルが発売)に至っては、購入者の70%を大人が占める時代もあった。また、AFOLは非公式のファンの集いを開催したり、オンラインのユーザーグループで交流したりしていた。
AFOLはレゴに利益をもたらしていたが、デンマーク、ビルンの本社の経営幹部たちは大人の顧客にあまり興味を示さなかった。世界中のAFOLからファンレターや商品のアイデアが殺到しても、「当社は利用者からのアイデアを受け付けていません」と困惑するばかりだった。
事実、2000~06年にかけてレゴの幹部としてグローバルコミュニティー開発チームを統括していたジェイク・マッキー氏は「大人のファンはやっかいで、いら立ちの原因という扱いでした」と明かす。
暗黒時代から夜明けまで
意識が変わり始めたのは1990年代後半~2000年代前半。無敵のはずの玩具メーカーが低迷し始めたときだ。2003年にはレゴは2億3800万ドルの赤字を計上し、倒産してもおかしくない状況にあった。「レゴの暗黒時代でした」とマッキー氏は振り返る。
衣料品、アミューズメントパーク、ビデオゲーム、さらには、レゴブランドのジュエリーなど、トレードマークの玩具とほぼ無関係な事業に手を出したことが苦境の始まりだった。「人々はレゴの商品よりブランドを評価していると考えていたのです」とスミス・マイヤー氏は話す。
さらに当時、「組み立てを飛ばしてすぐに遊ぶ」ことができるよう、工場から出荷されるレゴセットが簡素化されていたとマッキー氏は説明する。店頭でもレゴセットは目立たず、あるショップではレゴ売り場にいる買い物客に「レゴはどこにありますか?」と尋ねられることもあったという。
いわば「レゴのアイデンティティー危機」に直面したわけだが、思わぬ収穫があった。レゴの幹部がようやく、大人の熱心なファンたちと、彼らを顧客として重視する従業員の声に耳を傾け始めたからだ。
「私は何年もの間、大人の顧客に目を向けるべきだという同じメッセージを伝え続けてきました」とマッキー氏は振り返る。「目の前にチャンスの山があるのに、経営幹部は気付いていなかったのです」
危機の影響でデザイン予算が削減されたとき、「皆が突然、私が大人のファンと取り組んできたデザインを見たがりました」とマッキー氏は話す。広告予算が削減されたマーケティングチームも同様だ。「草の根マーケティングを余儀なくされました。新商品やイベントに関するメッセージを伝える方法がほかに思い付かなかったためです」
レゴはついに、世界中で開催されている非公式のファンの集いに参加する人々、オンラインユーザーグループに集結する驚異的な数のAFOLに注目し始めた。熱狂的なレゴファンが大勢いて、その多くがユニークなスキルセットを持つこと、デザインのアイデア、ソフトウェアのエンジニアリング、市場ニーズ、さらには、新しいレゴのテーマまで得られることに幹部たちは気付いた。そして、AFOLエンゲージメントチームを結成し、大人の熱狂的なファンにレゴのほうから働き掛けるようになった。
信頼の構築
それでも、氷は一晩では解けなかったとマッキー氏は振り返る。「レゴファンは長年、私たちの支援なしに、自分たちですべてを組織していました。支援を始めた当初は、懐疑的な見方が大部分を占めていました」
2000年夏に史上初のレゴファンの集いを主催したクリスティーナ・ヒッチコック氏は、無視された、軽視されたと感じている人だけでなく、「自分の趣味が原因で、社会的な孤立感を味わっている」人、「喜びを与えてくれる商品をつくっている企業から拒絶されることを恐れる」人もいたと話す。
そうした疑念をぬぐうため、レゴはヒッチコック氏を含む3人のイベント主催者をビルンの本社に招待し、経営陣と話してもらった。そして、経営陣はしばしば大量のレゴを携え、大規模なファンの集いに参加するようになった。
2005年8月、当時の最高経営責任者(CEO)ヨアン・ビー・クヌッドストープ氏がファンの集いに参加し、会場を埋め尽くす大人のファンを目の当たりにした。そして彼はファンに話しかけた。「レゴのCEOが壇上に立ち、『私たちがより密接に協力し合う未来が見えます』と語り掛けたときの会場のエネルギーは言葉で言い表すことができません」とスミス・マイヤー氏は振り返る。
こうして芽生えた協力関係がクリエイター、アンバサダーネットワーク、VIPプログラム、ファーストレゴリーグ、そして、2021年に初めて開催された公式ファンコンベンションのレゴコンなど、人気と収益性の高いテーマやチャレンジを生み出す原動力となった。
CEOの登壇から数年後。誰でもレゴセットのアイデアを提出できるようになり、ファンから十分な支持を得られたアイデアが商品化されるようになった。
ファンコンベンションは新しい才能を発掘するための場所にもなっている。デザイナーのジェイミー・ベラード氏や米国シカゴの建築家アダム・リード・タッカー氏も熱烈なAFOLだ。
ベラード氏は2005年にレゴの一員になり、季節の商品やトレインセット、モジュラーシリーズなど、最も人気のあるセットやテーマを数多く手掛けている。
タッカー氏は2007年にレゴとのコラボレーションを開始し、象徴的な建造物をブロックで再現した人気商品「アーキテクチャ」の発案者兼共同開発者を務めている。
タッカー氏はまた、世界中で実物大のレゴ彫刻を制作する「マスタービルダー」チームの初期メンバーでもあった。多くのAFOLがそうであるように、タッカー氏は人生の早い段階でレゴに魅了された。「子供時代の一番の思い出は、切ったり貼ったりすることなく、3次元で創造性を発揮できたことです」。レゴはアートをデザインし、創造性を育むための「完璧な媒体」だった。
マッキー氏もタッカー氏と同様、遊びの域を超えたレゴの魅力と可能性を認識していた。「もし私がレゴ時代に成功したことがないとしても、レゴは単なる玩具ではなく、鉛筆や水彩絵の具のようにデザインや創作に使用できる創造的な素材であることを人々に知ってもらう手助けができていれば十分です」
レゴが年齢を問わず、すべての人に何かをもたらすようになる日をマッキー氏は思い描いていた。「最近、ターゲット(米国のスーパー)に行ったら、3世代の男性がレゴ売り場に立っていて、それぞれが違う商品を見ていました」。マッキー氏はその瞬間、自分の努力が報われたことを知った。
「レゴはかつて大人の顧客を商品のように扱っていましたが、今はパートナーのように扱っています」とマッキー氏。「今、社内の誰かに向かって、レゴはAFOLとの関わりを減らすべきだと言ったら、追い出されるでしょうね」
(文 DARYL AUSTIN、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2021年8月10日付]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。