「スケボーはポパイのいっちゃん最初の海外みやげ」
「フリースタイルでコンクリートの波に遊んだ」
スケートボード、略して「スケボー」。おなじみのこの呼び名を作ったのは、他でもない雑誌『ポパイ』である。創刊号で西海岸特別取材班が見つけてきたこのシティスポーツは、日本に紹介されるやいなや、ボクたちのボーイズライフを一気に変えてしまった。公園やふ頭の堤防など街のコンクリートウェイブが、ジーンズにスニーカー、サーフトランクスやTシャツでキメたスケボー少年たちでいっぱいになってしまったのだ。
スケボーの進化 33年前に聞いた「予言」
恥ずかしながら、冒頭に掲げた昭和感が漂うこのタイトルと文は、1988年に発売された『ポパイ』(マガジンハウス)の別冊『ポパイOBクラブ』で筆者が書いた一節である。
筆者はスケートボードとサーフィンとBMX(バイシクルモトクロス)のページを任された。当時、スケートボードは日本の若者たちの間ですっかり定着して、ちょうど第2次スケボーブームを迎えていた。既にもう当時レジェンドであり、創刊当時のポパイでスケートボードのページを監修していた、日本人初のプロスケートボーダーのアキ秋山氏にインタビューもしている。
「何回も転んだ。本当に何回も転んだ。なんでこんな小さな板っ切れが乗りこなせないんだろうって涙が出るくらいに悔しかったなぁ。ボクがスケートボードを始めた頃の話だよ。もともとはサーフィンの陸上トレーニング用だったんだけど、ポパイが創刊される1年前かな。スケートボードという名前に変わったんだ。もちろん、海の向こうの話だよ、まだね。そんな時にアメリカへ渡ったボクはいきなりスケートボードの世界大会に出場しちゃったんだ。日本人なんてボク1人。でも平和島の高速道路でまったくの独学で身に付けたテクニックで、フリーライディング部門で世界第5位に入賞できたんだ」
インタビューの最後で、アキ秋山氏は「マジにやってしっかりと技術を身につけた連中が、今のスケートボードに夢中になっている子供たちに、しっかり技術を教えているんだ。スケートボードは、まだまだ進化するよ」と言っている。

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