イタリアにもしょうゆがある。そう聞くと驚かれるだろうか。
しょうゆといっても、大豆と小麦を発酵させてつくる日本のものとはちがう。アンチョビ(カタクチイワシ)に塩をふって熟成させる魚醤(ぎょしょう)「コラトゥーラ」である。
何の料理にでも入れていたガルム
実は、イタリアには古代ローマ時代から、「ガルム」と呼ばれる魚醤があった。陶器のつぼにハーブを敷き、アンチョビのような小魚と内蔵を入れ、サバやマグロなどの魚をのせて塩で覆い、7日ほど天日にさらしてからときどきかきまぜながら20日間ほど発酵させ、こしたものだったと古い文献に書かれている。ガルムの品質はピンからキリまであり、値の張るものは香水より高かったという。
古代ローマ人のお金持ちは、ガルムを肉や魚や野菜の味つけに使うほか、甘口ワインやコショウと混ぜてトリュフやフォアグラ(当時は肥育させた豚レバー)にかけたり、酢、スパイス、蜂蜜やハーブと混ぜて好物のウツボやウナギのソースにしたりした。古代ローマの美食家アピキウスがのこしたレシピでは、貴重だった塩の代わりにガルムの一種をほぼ何の料理にでも入れている。その徹底した使いぶりは、魚の発酵による「うま味」 を古代ローマ人の舌が感じとっていたのではと思いたくなるほどだ。
では、現代の魚醤「コラトゥーラ」は、このガルムの子孫のようなものなのだろうか。
『アマルフィ 女神の報酬』という日本映画で、海に面した斜面ぎりぎりに建物が切り立つ美しさで有名になった南部ソレント半島アマルフィ海岸に、チェターラという港町がある。チェターラで伝統的につくられるコラトゥーラの工房では、頭と内臓をとり除いたカタクチイワシに塩をふってから、塩、イワシ、塩、イワシの順に木の桶(おけ)に重ねる。木桶にふたをし、石の重しをのせて9カ月熟成後、それぞれの生産者 がしあがりを判断する。コラトゥーラという名前は、熟成後、この木桶の底に開けた穴から液を滴(したた)らせる(コラーレ)ことから来ている。
「ですから 、頭と内臓をとり除いたカタクチイワシだけを塩漬けするコラトゥーラと、さまざまな魚を内臓とともに発酵させたガルムとは、正確にはちがうのですよ」。2012年にわたしが工房を訪れたとき、生産者のひとりはそう言った。コラトゥーラは13世紀後半にアマルフィの近くの修道院でつくられたと伝わる。とはいえ、古代ローマ時代、火山爆発により灰に埋もれてしまったポンペイがソレント半島のすぐ北にあり、ガルムの一大産地だったことを考えると、コラトゥーラとつながりがあるとするほうが自然だろう。