カンヌ脚本賞『ドライブ・マイ・カー』 物語の作り方
濱口竜介監督インタビュー後編
7月に開催された第74回カンヌ国際映画祭で、日本映画史上初となる「脚本賞」を受賞した濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(8月20日公開)。さらに各国の評論家らが選ぶ「国際映画批評家連盟賞」、フランスの独立興行主らの連合組織が選ぶ「AFCAE賞」、キリスト教関係者が選ぶ「エキュメニカル審査員賞」と3つの独立賞も獲得し4冠に輝いた。
今回は前編(「カンヌ4冠『ドライブ・マイ・カー』179分没入の監督術」)に続き、『ドライブ・マイ・カー』がいかにして豊かな物語性を獲得したか、濱口監督のコメントとともに紹介したい。
名作戯曲や多言語演劇により「膨らみ」
『ドライブ・マイ・カー』の脚本を務めたのは、濱口監督と大江崇允氏。大江氏は演劇出身で、ドラマ『恋のツキ』(2018年)の脚本などを手掛けてきた人物だ。濱口監督は同世代の大江氏について、「ご自分で演劇もやっていらっしゃった方なので、共同脚本家としてアイデアをいただいたり、主に前半部の監督補として、演劇の部分でのリアリティーをチェックしてもらっていました」(プレス資料より)と語っている。また、カンヌの受賞スピーチでは、以下のようにコメントした。
「大江さんと僕の関係は奇妙なもので、僕にひたすら書かせるタイプの脚本家。いつも読みながら、『本当に素晴らしい。このままやりなさい』と言ってくれました。この作品は、3時間近くあり壮大な物語。彼がずっと励まし続けてくれたから、この物語を最後まで映画として書き切ることができたと思っています」(濱口監督、以下同)
2人は村上春樹の同名短編の映画化にあたり、西島秀俊演じる主人公の家福(かふく)が上演する戯曲として、アントン・チェーホフの『ワーニャ伯父さん』、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を絡めた。特に『ワーニャ伯父さん』は、絶望に陥りながらも生きていこうとする登場人物たちの姿が、家福の人生とリンクする。
「ヒントになったのは、家福が『ワーニャ伯父さん』の音声テープを聞いているという原作の一文。『ワーニャ伯父さん』は自分自身も好きな作品だったので読み直してみたところ、家福の物語がより立体的に、膨らみを持って感じられたんです。『ゴドーを待ちながら』は、大江さんから『一番好きな演劇』と聞いて、取り入れました」
作品の「膨らみ」に一役買っているのが「多言語演劇」だ。家福は、韓国、台湾、フィリピンなどの俳優を集め、各国の言語を織り交ぜて『ワーニャ伯父さん』を上演する。
「家福は、国際演劇祭にも呼ばれるような人。その彼がどんな独特な演劇手法を持っているかと考えたときに、多言語演劇ならリアリティーがあると思いました。多言語では当然、俳優は演技をしづらいけれど、そのことで生まれる演技がある。この困難を克服してもらうことで、演技に現代性が加わるんじゃないかとも考えました」
抑制の利いたリアルな演技で想像力を刺激
当初は、家福が韓国の演劇祭に招かれる設定だった本作。しかしコロナ禍で渡韓できず、広島に変更。これにより脚本が膨らんだ部分もあるという。
「広島のロケーションを見てから、シナリオを変えたところがあります。例えば、広島市環境局中工場。これが『ゴミ処理施設』という言葉に似つかわしくない壮麗な建築物なんです。そこには、広島平和記念公園から瀬戸内海まで遮らずにつなぐ貫通通路がある。原爆で亡くなった人たちの精神とともに、どう町を作っていくのか…。そんな町の精神性が表れていると思い、後半、家福とみさきが立ち寄る場所として採り入れました」
演出面で印象的なのは、声のトーンだ。家福の妻によるカセットテープの音声や、舞台稽古の本読みなどで、抑揚のないフラットな声が多く響く。
「役者さんには、『余計なことはしなくていい』と常々言っていたと思います。例えば、悲しい場面で悲しいふりをして話すと、聞いている人には『悲しいふりをしている』という情報がセリフと一緒に入ってくる。そうすると語っていることを素直に受け取れなくなるので、余計な感情を入れずに演じられるよう、気にかけていました」
また俳優たちは、表情や動きでも「余計なこと」をしていない。東京藝術大学大学院時代の恩師・北野武の映画のように、抑制の利いた声や演技が、観客の想像力を膨らませる一要素となっている。
約3時間の「もう1つの現実」を作る
カンヌの受賞スピーチで「役者たちが本当に素晴らしかった。役者たちこそが物語だと思っています」と語った濱口監督。特に絶賛するのは、主演の西島秀俊だ。
「家福はいろんな人に会い、いろんなものを見たり聞いたりするなかで、だんだん変わっていく。その見たり聞いたりを、西島さんは本当にちゃんとやってくれている感じがしました。そもそも人柄が良くて、相手の役者を力づけるような魅力のある方。共演したみなさんは演じやすかったんじゃないかと思います。
西島さんに学ぶところがあったのかもしれないですけれども、高槻役の岡田将生君も素晴らしかったです。特に家福の車で10分以上語り続ける場面は、セリフも多く、演技も難しくて大変だったと思います。この映画の核となるところでもあるので、プレッシャーも感じていたはず。『あなたにはできると思っている』と何度も伝えました」
完成した映画は179分。『ハッピーアワー』(15年)は5時間17分、『親密さ』(12年)は4時間超えと、濱口監督の作品には長尺が多い。長尺の魅力について濱口監督は「単純に情報量が多くなる。その情報量が映画のディテールにつながって、現実とかなり近い、『もう1つの現実』として感じやすくなるところがあると思います」と語る。劇中には様々なテーマが感じられるが、濱口監督自身のテーマが反映されているところはあるのか。
「どこかに心の有りようが反映されているんでしょうけど、意識的なものではないと思います。ごくごく単純に、原作を中心に要素を組み立てていったら、こうなったというものなので。それは僕が言うことではなく、興味のある人が読み解いていただければ」
武器は「常に面白くあろうとしていること」
世界三大映画祭で受賞ラッシュ。「世界のハマグチ」と称される存在に駆け上がっているが、自身の武器については、どのように感じているのだろうか。
「武器は……『面白くあろうとしている』ということじゃないでしょうか。上映時間が約3時間あったり、情報量が多かったり、見る側にとってはそこそこハードルの高い映画だと思うんです。でも、観客に分かってもらわなくてもいいとは一切思っていませんし、観客にとって面白いものを作ろうという気持ちは常に持っている。そこが大きいのではないかと思います」
繊細なセリフの積み重ねで人間模様を浮き彫りにし、想像を超えた展開で驚きを与える。様々な「面白さ」が詰まった『ドライブ・マイ・カー』は、濱口監督自身にとって、どんな作品になったのか。
「1本、何か道が通っていくような映画になったんじゃないかと思います。それはどういう道か? うん、どういう道なんでしょうね(笑)。でも、自分が自分のまま別の何かになっていくというか、自分のまんま別のところに行く。別のところに行くことによって、別の何かになっていく。そういう道筋が描けたと思います」
「もう1つの現実」を通して、どんな道が見えてくるのか。劇場で確かめてほしい。
舞台俳優であり演出家の家福は、美しい妻・音(おと)と2人で満ち足りた日々を送っていた。しかし、音はある日突然、秘密を残してこの世からいなくなってしまう。2年後、広島の演劇祭で家福は、専属ドライバーとして寡黙な女性・渡利みさきと出会う。さらに以前、亡き妻・音に紹介された若手俳優・高槻がオーディション会場に現れた…。妻を亡くした喪失感と彼女の秘密にさいなまれていた家福は、みさきとお互いの過去を明かすなかで、自分が目を背けてきたあることに気付かされていく。 (c)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会 ビターズ・エンド配給、公開中
(ライター 泊貴洋)
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