「芋の上松蔵」ってどう読む？　新ブランドの誕生秘話

さつまいもスイーツ専門店「芋の上松蔵」は、老舗ベーカリーのドンク（神戸市）が展開する「松蔵ポテト」から2019年に誕生した新ブランド。松蔵ポテトは70年以上の歴史を持つスイートポテトの専門店。芋を素材とした生菓子を販売しており、人気ではあるが、日持ちがしないために購入機会が限られていた。そこで、芋けんぴのような日常的に食べられるさつまいもスイーツの新ブランドをつくることで、顧客層や購入頻度を高めようと考えたという。

芋の上松蔵では、松蔵ポテトのレシピを継承したスイートポテトも販売する。芋けんぴの調理（フライや蜜がけ）やスイートポテトの焼き上げは店頭の厨房で行っており、出来たてのおいしさを伝えていることも特徴だ。

芋の上松蔵は当初、期間限定のポップアップショップで展開した。19年10月に出店した大阪の阪神百貨店を皮切りに、池袋西武や名古屋栄三越、神戸阪急などで、約10回にわたるポップアップを開催。特に好評だったのは大阪の阪神百貨店。予測の3倍近い売り上げがあったという。

21年2月に東京のアトレ吉祥寺に1号店を構えた。こちらの業績も好調で、21年2月～22年2月を目安に売り上げ目標1億円を達成できる見込みだという。

コンセプトやパッケージデザイン、ブランドのネーミングや店舗デザインなどを手掛けたのは、GRAPH（兵庫県加西市）のアートディレクターである吉本雅俊氏。設計会社からの紹介でディレクションを請け負うことになったという。

吉本氏がデザインをする際に大切にしているのが、実際にものづくりの現場に足を運んでみること。ものづくりの現場にはクライアントが思っている以上の情報があり、彼らも気づかない良さが眠っていると考えているからだ。今回の事例でも、神戸市の六甲アイランドにあるドンクのセントラルキッチンに足を運び、実際の製造工程を見学した。

当時、吉本氏が松蔵ポテトに対して抱いていた印象は「素材（芋そのもの）を大切にしている」ということだった。「松蔵ポテトのスイートポテトは、さつまいもの皮をそのまま器にしていて、見た目も芋らしさがある。そして、芋本来の味や甘みでおいしさを表現していた。他社のスイートポテトは、バターや生クリームで洋菓子のようなおいしさを表現していた」（吉本氏）。こうした味わいの特徴は、芋の上松蔵のさつまいもスイーツにもそのまま引き継がれている。

このイメージはセントラルキッチンの印象からも裏付けられた。

「セントラルキッチンでまず感じたのが『素朴で、余計なことをしていない』ことだった。素材であるさつまいも自体を選び抜き、その味を最大限に引き出すための調理を加えている。例えばスイートポテトは、まずは焼き芋を作り、焼き芋の中身をくりぬいて卵黄などを混ぜた後、再び皮に収めて焼くが、そのすべての工程を職人が手作業で行っていた。多くの人が『工場』と聞いて連想するような機械的な印象は皆無だった」（吉本氏）

こうした印象を伝えるため、ネーミングやロゴデザインでも「和洋折衷」「人間味」「原点回帰」「本物感」「芋への愛情」といったキーワードを表現したいと考えた。

ネーミングの案出しは、吉本氏とドンクで協力して進めた。ドンクでは、「松蔵ポテトから新ブランドをつくる」と決めた時点で、原点である井上氏に関連した名前を使用したいと考えていたという。「井上」でも「松蔵」でもよかったが、「それならストレートに『井上松蔵』でいこう」という話になった。

そこで吉本氏は、リサーチを通じて感じた印象を基に「井上松蔵」のロゴ案を数パターン制作。いずれも「素材のシンプルさ」「原点と未来」を感じさせるものにした。同社が商品作りに懸ける気遣いや思いが伝わるよう、商品が一番映えるシンプルな美しさを目指したという。それを基にディスカッションをした。

ロゴ案を作って感じたことが、「井上松蔵では人名が立ち過ぎている」ということだった。こうした印象を和らげるために出てきたのが、「井上」を「芋の上」と書くことだった。「今までの芋の上をいくおいしさを追求する」という思いを込めた。この名前なら、松蔵ポテトの原点に回帰し、さらに新しいルートを引き直すというメッセージも届けられるだろう。満場一致で決定したという。

その後は、1カ月ほどかけながら「芋の上」「芋ノ上」「芋之上」などのバリエーションを検討していった。「最終的に平仮名の"の"を採用したのは、平仮名の柔和な印象が、出来たての商品の温かさを伝えてくれると思ったから」（ドンクの営業本部・ブランド管理・ディビジョンマネジャーの竹本裕樹氏）

【ロゴ案の制作過程】

(1)井上松蔵をベースに方向性を決める

(2)井上を「芋の上」と書くことに

(3)和洋折衷の案で細部を微調整

字面は「芋の上」だが、読み方としてはこれまで通りの「いのうえ」でいきたいという思いもあった。芋の上を「いのうえ」と読む人は少ないだろうが、その違和感がむしろブランドに対する興味や好奇心につながると考えたからだ。

ドンクの社員やお客も、最初はほとんどが「いものうえまつぞう」と読んでいたという。

「『なんて読むの？』と聞いてもらったときに、読み方とそこに込めた『芋の上をいくおいしさを追求したい』『井上松蔵氏のお菓子作りの思いを継承したい』という思いを説明すると、『よく考えているね』と言ってもらえた。記憶に残るブランド名ができたと思う」（竹本氏）

ネーミングとロゴデザインが決定した後に吉本氏が提案したのが、「芋愛」というスローガンを作ることだった。ブランドロゴに添える「落款」のようなマークをデザインした。何かしらのキーワードやスローガン、タグラインなどを作ることで、ブランドに込めた思いが伝わりやすくなると考えたからだ。

「芋の上松蔵では、原点である松蔵ポテトとは違うルートを確保するうえで、『素材への愛情』『さつまいもスイーツを極める』など、芋と向き合う姿勢や愛情が核になると考えた。『芋愛』というスローガンを作ったことで、お客様に対してブランドの思いをストレートに伝えることができた。同時に、ショップスタッフたちはブランドを保持するために何をすべきか理解できる。多面的なコミュニケーションが可能になった」（吉本氏）

このスローガンは、1号店の看板にも使用した。1号店では柱に2面看板があり、当初は両方ともブランドロゴにする予定だった。吉本氏は、そこを、片面はロゴ、片面は芋愛のスローガンにしたいと提案。「看板はブランドの一番の顔なので、そこで伝えないともったいないと思った」（吉本氏）。アトレ吉祥寺からは「『芋愛』が屋号のように見えるので駄目」という意見もあったが、「ブランドの思いを伝えることの大切さ」に同意した竹本氏が交渉し、採用に至ったという。「芋愛」のスローガンは商品のパッケージなどにも入れている。

今後、年内には関西の中心エリアに芋の上松蔵2号店を構えたいと考えているという。また、21年の秋ごろを目標に、関東・関西の中心エリアでポップアップショップの展開も視野に入れている。

（フリーライター　近藤彩音、写真提供:ドンク、GRAPH）

［日経クロストレンド　2021年7月29日の記事を再構成］