スタートアップだったTHE ALFEE 47年続けられた理由
1973年に明治学院大学で出会いグループを結成、1974年にデビューしたTHE ALFEEが70枚目のシングル『The 2nd Life -第二の選択-』をリリースした。デビュー以来、ツアーを欠かさない「トラベリング・バンド」を自認し、全国をライブ行脚してきた3人がコロナ禍初めて経験した"ステイホーム"。新曲には、留まることから得た気づきを込めたという。
デビュー50周年が視野に入るTHE ALFEEは、長きに渡り同じメンバーで活躍し続けている稀有(けう)なバンドだ。キャリアを重ねる秘訣やモチベーションを高く保つコツなど、仕事観についてもたっぷりと話を聞いた(以下、3人の敬称略)。
こんなに会わなかったのは結成以来初めて
――70枚目のシングル『The 2nd Life -第二の選択-』は、いつごろ制作したものですか?
高見沢俊彦(以下、高見沢) この1年半ほどは、コロナ禍でコンサートツアーができなくなったため、ずっと創作にシフトしており、そのなかで制作した1曲です。この間もありがたいことに、他の仕事で忙しくしていましたが、僕らは「トラベリング・バンド」。本領を発揮するのはやっぱりステージですから、次のツアーに出るときに新曲があったほうがいいと思いました。それに、新曲を作っていると示すことで元気の証明にもなるし、聴いてくださる方の希望になるよう、曲を作りつづけてきたんです。
坂崎幸之助(以下、坂崎) 昨年春に出された最初の緊急事態宣言で、僕らはまるまる2カ月会わなかったんですよ。顔を合わせない期間というと、これまではお正月休みの2~3週間が最長だったのに。学生の頃に出会ってから初めての経験でしたね。
高見沢 そうだよな。顔を合わせないでいたら、解散したバンドが再結成したくなる気持ちが分かったような気がした(笑)。とはいえ、制作の工程はそれほど大きな変化はなかったんですが……。
桜井賢(以下、桜井) ただ3人が一緒にスタジオに入ることはなく、1人ずつ録りました。スタジオに行くと譜面があるから、それを見てベースを入れて、歌入れするという感じで。
坂崎 「"三密"が良くない!」って盛んに言われてましたから(笑)。
高見沢 こんなに「三密」なバンドはないですからね。これまでスタジオでマイク3本立てて、つば飛ばし合いながら歌入れしてましたから。
坂崎 コロナ禍ではそれを避けて、1人ずつ録りました。桜井とは、いまだにデータでやり取りができず、通信手段はファックスなので、スタジオで対応し完結させなきゃならないから大変だよね。
桜井 固定電話もあるよ(笑)。俺がベース入れて帰った後に、坂崎がギターを入れて帰る。自分の仕事をきっちりやれば、演奏もちゃんとかみ合うはずですから。
高見沢 長年一緒にやってるから、ばらばらに録っても不思議とコーラスもぴったりハマります。そもそも、ライブのときも互いの音なんか聞いてないからな。
桜井 聴いてないんじゃなく、聴こえないの(笑)。
自分ができないことを相手はできる
――お互いを信頼しているから任せられる。いつ頃から、そう思えるようになりましたか?
坂崎 デジタル化され、それぞれのパートをばらばらに録れるようになって、いろいろ変わったかもしれませんね。アナログの時代は、「せーの」で録ることが多かった。80年代、90年代は1つじゃ足りないから、スタジオを3つ借りたりして。
桜井 今以上にツアーも相当回っていたし、スタジオを3カ月借り切って、高見沢はそこで寝起きしているような感じだったね。
高見沢 ただ個別に録れるようになったとはいえ、そこは信頼関係がないとやはり難しいですよ。僕らは学生の友人からスタートし、そこからプロになっていることも大きいかもしれません。
──デビューからまもなく50年。同じメンバーで仕事を続けてこられた秘訣は?
高見沢 ここまで長く一緒にやってこられたのは、単純に言えば、自分にはできないことが相手にはできると認めているから。認め合えるからこそ、バンドサウンドは成り立つわけだし。
坂崎 そうだよな。でも成功すると1人でできると思っちゃうのかなぁ?
桜井 俺らはもめるほどお金が入ってこなかったから、こうして続けてます(笑)。俺はこれしかできないし、決して1人じゃできないからな。
高見沢 1人より2、3人のほうが断然いい。居心地も良いし楽です。ストレスをため込んじゃうと、人間ってしんどいじゃないですか。1人でいるより、3人のほうがまぎれます。
坂崎 今は起業する若い人が増えましたよね。夢をもって始めるってすごいことだと思うんですよ。でも、そのときは同じ気持ちでのスタートだったはずなのに、いつしかでこぼこになってしまうことがあるのかなと。
高見沢 僕らもスタートアップみたいなもの(笑)。「俺が、俺が」という気持ちが出過ぎるとぶつかってしまう。「こっちのほうが優れているのに、なぜあいつが社長なんだ」みたいに不平不満があると続かない。「あいつがいないと成り立たない」という関係性が築けるかどうかでしょうね。
ツアーが健康の元だった
――1年半ツアーに出られないという初の経験から、ほかにどんなことを感じましたか?
桜井 ツアーは健康の元だと思い知らされました。僕らはこれまで、2700本以上のライブをやり続けてきたのに、そこがバンと断ち切られた。生活のリズムはライブを中心に作られていたので、(コンサート開演時間となる)夕方6時くらいに一番パワーが出せるように整えていたんですよ。1週間で使った筋肉も2週間で衰えるじゃないけど、毎年春と秋に全国ツアーを行い、人前で演奏し歌うってすごいことなんだとつくづく思いましたね。
坂崎 去年1年は特にそう感じました。血流が悪くなったせいか筋肉も落ち、めまいまで。ツアーでは1、2時間のリハーサルをして、3時間のライブをします。約5時間ずっと立って演奏し、歌って、さらに移動で結構歩いたり階段の上り下りもします。知らないうちにツアーが日常にすごく影響していたんだなと気づかされましたね。
――企業を取材していると、コロナ禍で増えたリモートワークでも、健康管理がより重視されるようになったという声を聞きます。
坂崎 皆さん同様に、何とかしなきゃと僕も思いました。高見沢さんは日ごろからワークアウトしてるけど、いざ何かしようと思ったら意外とできないものですね。実際、屋上で縄跳びもやってみたけど……。
高見沢 どれくらいやった?
坂崎 2日(笑)。足首がめっちゃ痛くて、驚いた。
全員 (爆笑)
高見沢 僕個人としては、ツアーができなかった期間、言葉や題材の選び方などで多くの学びがありました。とくにこの半年は、小説を書いたり、日本経済新聞でコラムを連載したり(夕刊掲載の「あすへの話題」)と、執筆が多かったことが大きかった。歌詞は、自分の姿を知っている人たちに向けて書きますが、新聞は自分を知らない人が読む前提で書きます。これまでも3人分の気持ちをつづってきたので、客観的に書いてきたつもりでしたが、より俯瞰(ふかん)で見て書けるようになってきたんじゃないかと。知らない人にも少しはアルフィーを知ってもらいたいという気持ちが働きますし、どう伝えればいいか気を使うようになり、語彙が増えたと感じますね。それに新聞を読むと、関心がなかった情報も目に入ってくる。日本や世界情勢を知るにつけ「どうなってんだ?」と疑問を感じることが増えましたね。その、「どうなんだ」から始まるもの、そこにも歌詞は影響を受けている気がします。
――今回の『The 2nd Life -第二の選択-』は、まさにそういう視点から生まれた?
高見沢 ええ。コロナによって、当たり前のことが当たり前でなくなった世界になりましたからね。早く普通の日常を取り戻したいと誰もが思っているし、そうありたいと願っている。そういう方たちの、背中を押せるような楽曲になればいいなと思っています。今後も活動を続けるうえで、決してコンサートは不要不急ではないと証明させたいものですね。そのためにも新曲を作って出し続ける。それが現役ミュージシャンのプライドかもしれません。
――コロナ禍で、配信番組『Come on! ALFEE!!』を新たにスタートしたことも、そういった思いからですか?(『Come on! ALFEE!!』はメンバー3人が毎回テーマを決めてトークを繰り広げる有料配信番組。すでにシーズン2まで配信されている)
坂崎 大正解! ライブができない自分たちが、いまできることはなにかと考えた1つの試作です。
配信番組はライブ再開後も続けていこうと
高見沢 無観客ライブも何度かやりましたが、それではもの足りなさを感じて、音楽以外でできることは何かと考えたとき、あっ、3人ともしゃべれる(笑)。そこでそういう配信番組を始めた次第です。
坂崎 僕らが楽屋で話しているようなことを形にしてみようというのが、コンセプトの1つです。桜井が「回転寿司に行ったことがない」というから、じゃあ行ってみようとか。
桜井 「ビールを飲ませてやるから行こう」と誘われたのに、スタッフから「条例違反になるからダメ」と言われて飲ませてもらえなかったんですよ。ノンアルコールビールでも、結構テンション上がりましたけど(笑)。
坂崎 かつてはばかばかしい話って、深夜放送のラジオとかで聴けましたよね。それを映像付きでやってる感じかなと。そこが面白さにつながっているのかもしれません。
高見沢 僕は普通にやっているだけだけどね。
坂崎 普通にやって面白いですから、高見沢さんは(笑)。僕と桜井は以前から、いまでいう、YouTuberみたいに、「高見沢を24時間カメラで追ったら絶対に面白い」と話していたんです。アクリル板があると分かってるはずなのに、何回もぶつかったり。そういうのを、ファンの方は喜んでくださるんですよ。
桜井 日本酒を飲んでいて、一升瓶の口に指を入れて遊んでいたら抜けなくなっちゃうとか、エピソードにはこと欠かない。こんな面白いことするのって驚くレベルですよ(笑)。
坂崎 そういう素が見える部分と、撮り下ろしのライブを毎回入れるようにしています。ライブをなかなか見られない地方の方にも、一番新しい映像を見ていただける。たくさんの方に、喜んでいただけているようでほっとしています。
高見沢 ですから、ツアーが平常に戻っても、これからも配信番組は続けていこうと思っています。
――先を見通すのが難しい状況ではありますが、節目となる70枚目のシングルをリリースし、その先にTHE ALFEEは何を目指すのでしょうか?
高見沢 改めて70枚目と聞くと、感慨深いですね。僕らより先に、古希を迎えたのかと(笑)。目下の目標として、まずは有観客のライブをやりたいですね。
坂崎 4度目の緊急事態宣言が出されたことを受け、夏のライブも中止を決めました。開催に関していろんなご意見がありますので、そういう間は難しいなというのが僕らの考えなんです。ただ、いつでもライブができるように準備をしてしっかりと整えておくことはやめませんよ。そうやってちょっとずつ進めていきたいですね。
ジ・アルフィー メンバーは、桜井賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦。1974年、『夏しぐれ』でデビュー。当時はフォーク色が濃いサウンドだった。地道にコンサートを積み重ね動員を増やす。83年、『メリーアン』が大ヒットし、同年末に『紅白歌合戦』への出場を決めた。年に2回の全国ツアーと野外イベントライブを恒例としており、日本のバンドで、コンサート通算2776回(2020年8月25日現在)は国内最多記録を更新中。
通算70枚目となるシングル。表題曲は、コロナ禍で感じた想いを受け止めた前向きなメッセージソング。優しく語りかけるように歌い出し、次第にドラマチックで厚みのあるバンドサウンドへと展開。3人の艶やかで生き生きした歌声とハーモニーに励まされる。カップリング曲は『光と影のRegret』と『My Truth(俺たちの武道館 2020 Live Ver.)』 ユニバーサルミュージック
(ライター 橘川有子)
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