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UCLAで神経科学を学んだ起業家の青砥さん

UCLAで神経科学を学んだ起業家の青砥さん

野球少年は高校を中退し、フリーターに。しかし、脳の不思議さに目覚め、米国の名門大学カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に進学。神経科学部を飛び級で卒業した。青砥瑞人さん(36)は2014年にDAncingEinstein(ダンシング・アインシュタイン、東京・新宿)を設立し、神経科学を活用した人材教育事業などを展開する。波瀾(はらん)万丈の起業家の軌跡に迫った。

恩師は怪物・江川と戦った広商の小さなエース

「少年野球で佃正樹さんと出会っていなければ、脳の道には進まなかったもしれない」。青砥さんはこう振り返る。県立広島商業高校の投手だった佃さんは甲子園での1973年春の選抜高校野球大会で、怪物・江川卓さん(元巨人投手)を擁する作新学院高校と準決勝でぶつかり、勝利した。小柄なエースが怪物に投げ勝ち、ヒットまで放った。球史に残る名勝負と言われた。

青砥さんは東京・荻窪で少年野球の監督だった佃さんから指導を受けた。「試合に勝つための精神集中の大切さが子どもながらに特に印象的で、下腹部にある『丹田』を使った呼吸法など、最初は何それと思ったが、実践すると効果的な感覚があった」という。

小学校は東京・吉祥寺にある私立の名門、成蹊小学校に通った。中高も同じキャンパスで過ごし、野球漬けの毎日を送った。小中は主将、高校ではエース投手。しかし、高2の冬に身体を痛め、パフォーマンスを発揮できなくなった。プライドが高かった青砥さんは仲間に真実を打ち明けられなかった。逃げるようにして野球部から去った。

孤立感にさいなまれ、高校にも通いたくなくなった。「中退したい」と両親に告げると、母親は一瞬戸惑ったが、父親は「自分でちゃんと生きろよ」と意外にも了承してくれた。父親はもともと画家。大学に進学せず、カフェを開くなど様々な経験をし、最終的にはデザイン会社を興し、自身でキャリアを切り開いた。

大学入学資格検定(当時)はすぐに合格した。親の手前、勉強を頑張ったが、気持ちは空回りの状態。何だか義務感で机に向かった日々。モデルのバイトもしていた。周囲から「あいつ終わったな」とそしられたこともある。

脳のメカニズムに関心 医学部志望に

そんな青砥さんに意識の変化が起こったのは中退から3~4年たったあたりだという。高校時代の同期は大学に進み、就職活動の時期を迎えた。医者、弁護士、一流企業のサラリーマン。昔の仲間の未来は前途洋々だった。「自分はどうしたらいいのか」と大きな焦りと共に本気で自問自答を始めた。そんな中、頭に浮かんだのは佃さんに教えてもらった精神の脳への作用だった。「脳のメカニズムはどうなっているのだろう」と無性に脳に興味がそそられ、脳関係の本をむさぼり読んだ。

野球以外で初めて強いワクワク感を覚えた。焦燥感を持ちつつも、それ以上の高揚感。「医学部に行き、脳を学ぼう」と決心し、猛勉強を始めた。そして、成績もどんどん上がり、自分でもこんなにも勉強ができるようになるのかという感覚を覚えた。しかし、受験は全て失敗。何年もトライしたが全滅。成績は着実に伸びていたのに落ちる。「本番に弱い?あるいは他にも何か理由が?年齢?中退?訳も分からず自暴自棄にもなりかけた」という。そして、医学部受験から「逃亡」したという。高校からの逃亡に次ぐ2度目の逃亡である。

そんな惨めな中でも、やればやっただけできるようになる感覚は強く感じていた。そんな時、海外経験が豊富な知人がこう助言してくれた。「じゃあ、米国の大学に行けば。あっちはドロップアウトなんていくらでもいるよ」。新たな挑戦心が湧いてきた。

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