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東大ではなく京大を狙う受験生も増えている(京大正門、写真はPIXTA)

東大ではなく京大を狙う受験生も増えている(京大正門、写真はPIXTA)

大学受験生は今、夏期講習など勉強漬けの毎日。東京大学など国内難関大学を目指す高校生はどんな学校から進学しているのか。今回の連載は特別編として東大、京都大学、国公立大学医学部、これらの総合の4回に分け、進学校の合格者数ランキングを紹介する。教育情報サービスの大学通信(東京・千代田)の協力を得て作成したランキングを教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏に読み解いてもらった。2回目は京大。

(1)東大合格ランキング 男子中高一貫校が上位占める理由

(3)国公立大医学部合格ランキング 西日本が優位な理由

(4)東大+京大+国公立医学部 合格者数ランキング1位は

旧帝大の中でも東大・京大が別格なわけ

いくら全国随一の知名度とはいえ、東大が東京にある限り、東大合格者数ランキング上位が関東地方の学校に偏るのは当然だ。逆に関西地方では、京大があるのになんでわざわざ東京に行くのかという価値観がある。

1872年(明治5年)に「学制」が発布され、全国を8の大学区、256の中学区、5万3760の小学区に分け、区ごとに大学、中学、小学校を設置する「計画」が始まった。それが日本の学校制度の始まりである。

70年(明治3年)にできた大学南校(旧開成学校<洋学校>)と大学東校(旧医学校)を合併し、原初の東大ができたのが77年(明治10年)。その後、日本で2番目の大学である京都帝国大学が97年(明治30年)にできるまで、20年もの時間を要した。

さらに10年後の1907年(明治40年)に全国3番目となる東北帝国大学設立。以後、11年(明治44年)の九州帝国大学、18年(大正7年)の北海道帝国大学、31年(昭和6年)大阪帝国大学、39年(昭和14年)名古屋帝国大学と続く。これらがいまでも「旧帝大」と呼ばれる。

全国の秀才を、小学校・中学校を通じて最終的には帝国大学に吸い上げ、国の中枢を担うリーダーとして育成する明確な狙いがあった。そのため「旧帝大=リーダー輩出大学」という図式が我々の意識の中にはいまでもある。

18年(大正7年)の「大学令」発布までは、官制(国立)の大学しか認められていなかった。つまり日本で正式な大学といえば、帝国大学しかなかった。

初の公立大学は、19年(大正8年)創立の大阪医科大学。その後、愛知医科大学、京都府立医科大学、熊本医科大学などが相次いで創設される。府県単位では医大がトップエリートとされていたわけだ。

日本に私立大学が登場するのは20年(大正9年)。慶応義塾大学と早稲田大学が初の認可を受けた。同年、明治大学、法政大学、中央大学、日本大学、国学院大学、同志社大学も認可を受ける。

京大の難易度は一橋大や東工大とほぼ同等

東大紛争のあおりで69年の東大入試が中止されたときには、東大志願者が京大入試にシフトし、その年の京大入試は日本の受験史上最も過酷な入試となった。東大が入試の中止を発表したのは1月20日という土壇場だった。東大志望の受験生からすればたまったものではない。当時の受験生に話を聞いた。

「最初は驚きましたが、すぐに京大受験に頭を切り替えました。実は当時『東大病』という言葉があるくらい、東大一辺倒の受験文化に社会的批判があり、私自身も同様の疑問をうすうす感じていました。ですから自分が東大生にならなくてすむことを、心のどこかで幸運だととらえていました。しかも普段の東大よりも難しい試験で力試しができるなんて、これほどチャレンジングなことはない。俄然(がぜん)やる気が湧いてきました」

東大との対比の中で、「ただの優等生ではない」という自尊心を満たすブランド力が、京大にはある。

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