慶大商学部卒業後は、東京大学大学院情報学環・学際情報学府に進んだ。

「慶応の独立自尊の精神、自由な校風のもとで、のびのびと、その時々にやりたいことに熱中できたのは幸運でした』と振り返る

米国留学でエンジニアリングへの興味が湧いていたのと、就職をしたくなかったので、一種のモラトリアムで大学院に行こうと考えました。父は僕が物心ついたころから会社を経営していましたし、親戚にもサラリーマンが少なかったせいか、自分が就職するイメージが持てなかったのです。中学からずっと慶応だったので、大学院は東大を目指そうと考えました。情報学環・学際情報学府は、文字通り学際的で文理融合なので、工学部出身じゃなくても行けそうだと思ったのです。

中・高・大とほとんど勉強しなかったのに東大大学院というのは無謀に思われるかもしれませんが、MITヘの留学にせよ、僕は毎回、とりあえず行けばなんとかなると考えるタイプなのです。その「なんとかなるさ精神」の極め付きが大学院受験の前、4年の秋に挑んだサハラレースです。

7日分の食料と着替え、寝袋を背負って、サハラ砂漠250キロを走るというレースで、単純に「面白そうだな」と思ったのがきっかけでした。それまでマラソンとは無縁だったのですが、半年くらい練習すればなんとかなるだろうと、ペットボトルを詰めて本番と同じ15キロの重さにしたバックパックを背負い、炎天下、自宅から大学までを往復する生活を始めました。ある時、多摩川沿いを走っていたら、さすがに異様に映ったのでしょう、職務質問をされました。「サハラ砂漠を走るための練習なんです」と大量のペットボトルを見せたら、お巡りさんもびっくりして、最後は「頑張って」と応援してくれました。

2012年10月のレース本番には、お笑いタレントのワッキーさんも参加していてNHKが撮影に来ていました。「死ぬ可能性もあるがそれでも構わない」という意味のことが書かれた誓約書にサインして、いざスタートです。僕は基本的にはビビりなので、事前に食料のカロリー計算はきっちりしていました。それと、時計と太陽の高さをにらめっこしながら、その日どのくらい走れば制限時間内ギリギリで走りきれるかを綿密に計算していたのも功を奏し、どうにかこうにか完走しました。世界中から集まった140人くらいの中で30人が脱落し、僕がゴールしたのは確かビリから2番目。中高の6年間、ずっと留年スレスレを狙ってきた習性がここでも発揮されました。

世界でも有数の過酷なレースを走り切ったことで、怖いものはなくなりました。サハラ走破に比べれば東大の大学院の試験なんて大したことはない。試験科目は数学と小論文なのでそんなに準備することもないと気軽な気持ちで受けたら、幸い合格しました。

大学院在学中の2013年10月に起業する。

研究テーマは「移動体」で、防犯カメラから人の動きを分析したりしていました。ちょうどその頃、米国に留学していたときの友人がグーグルやテスラで自動運転や電気自動車に関わる仕事を始めていました。すでに米国では公道での自動運転車のテスト走行が始まっていましたし、テスラの電気自動車はエンジンがなくボンネットの中が空っぽというのも話題になっていました。

移動の世界に革命が起きつつあるというのをリアルに感じると同時に、僕の研究テーマだった移動体のデータ分析には大きな可能性があるんじゃないかと思うようになりました。走行データのプラットフォームを作れば、事故防止や車両の最適配置、渋滞緩和、自動運転のための地図づくりなどさまざまなサービスの開発に役立つはず。いろいろとアイデアが浮かび、これはもう大学院修了の前に動き出さなきゃと思って起業しました。

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