初日、まず驚いたのは先生の問いかけに生徒が一斉に手を挙げたことです。みんなトイレに行きたくなったのかと思ったら、質問に対して答えるための挙手だったとわかって、カルチャーショックでした。SFCは真面目に勉強してきた成績優秀な女子が多く、学校としての規律もきっちりしていて、自由な雰囲気の普通部とはかなり違いました。普通部では英語の時間に数学の勉強をしていても、一応勉強はしているということで大目に見てくれるようなおうようさがあったのですが、SFCでは別の教科を勉強していると怒られました。 ノートの融通なんてもってのほか。「普通に自分でノートを取ればいいのに」と不思議がられ、留年スレスレで生き延びてきた僕は完全に異分子でした。

生き生きしているのはテニス部の練習の時だけ。朝練が終わって自分の机についた瞬間に爆睡し、ふと気づくと昼休みが終わっていたこともありました。もちろん成績は相変わらず超低空飛行で、ビリから2番目が定位置。先生もよほど褒めるところがなくて困ったのか、「留年しそうでしない奴は一番天才かもしれない」と言ってくれたことがありました。

そんな状況なので親は、学校から呼び出しを受ける常連でした。でも不思議と僕を責めることは一度もありませんでした。父は、呼び出しの日に約束の時間より早く行って学食でご飯を食べるのを楽しみにしていたくらいで、今思うと、好き放題している息子を何も言わずに見守ってくれたのは、ありがたかったですね。

大学は商学部に進んだ。

小学生の頃から株をやったりして世の中の仕組みに興味がありましたし、僕の成績では理工学部や経済学部は無理だったので商学部に進みました。親の方針で大学2年からの学費は自分で稼げと言われていたので、お年玉などでためたお金やバイト代を元手にFX(外国為替証拠金取引)投資を始めました。それが300万円くらいになって3年分の学費はこれでなんとかなるなとホッとした矢先、英ポンドの取引で桁をうっかり間違って、一晩ですっからかんになってしまいました。

なんとかして学費を稼がないといけないので、教育系のベンチャー企業で長期インターンを始めました。そこで新しいメディアの立ち上げを任せられたのですが、大きな予算をもらってゼロから事業を立ち上げる経験をできたことは、のちに起業する際にすごく役立ったと思います。

3年生からは労働経済学と金融工学のゼミに入りました。海外に行きたいという願望をかなえるべく、研究の一環として中国・深圳の工場で働かせてもらったり、米国に留学したりしたので、ゼミの勉強自体はあまりしませんでしたが、当時の経験が起業へとつながりました。4年生でサハラ砂漠250キロを走破する過酷なレースに出た話も含めて、後半で詳しくお話します。

(ライター 石臥薫子)

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