3年生になった直後、父の会社が経営危機に陥る。

「取引先を増やすのに慶応OBが力になってくれた。卒業後20年たって慶応に行ってよかったと感じた」と話す

父は1000万円の不渡り手形をつかまされ、昔から雇っている職人さんたちのリストラだけはなんとしても避けたいと金策に奔走していました。一時は消費者金融からも借り入れていたようで、「もう学費は払えない」と言われました。高校中退の父は僕の大学進学をものすごく喜んでくれていただけに、本人もつらかったでしょう。

ところが奇跡が起きました。ある朝、新聞の一面に当時のさくら銀行(現三井住友銀行)が慶応大学と新しい奨学金制度を作ったというニュースが載っていたのです。あまりにドンピシャのタイミングでまさかと思いましたが、すぐに大学の最寄りのさくら銀行に行ってみると「どうぞ申請してください」と言われ、トントン拍子で奨学金をもらえることになりました。

結局、父の会社はなんとかピンチを切り抜けました。僕を小さい頃からかわいがってくれた職人さんたちとは飲みに行くことも多かったのですが、毎回、父がどれだけ従業員の人生を背負い必死に頑張ってきたのか、どれだけ腹が据わった経営者なのかを聞かされました。その頃初めて父をカッコいいと思い、僕も父のような経営者になりたいと考えるようになりました。

1999年慶大を卒業。経営コンサルティング会社のベンチャー・リンクに入社する。

就活は経営コンサル業界に絞っていました。大手コンサルも受けたのですが、そういう会社で新人が担当できるのはせいぜいクライアント企業の一部門に限られます。でも僕は、父のような中小企業経営者を直接支援する仕事がしたかった。その点、ベンチャー・リンクは中小に特化しているのが魅力でした。当時、岡山に数店舗しかなかったベーカリーレストレラン「サンマルク」の全国展開を成功させて注目を集めていましたし、「起業家輩出機関」をキャッチフレーズにしていたので、僕にとってはベストの選択でした。大手商社や金融機関に内定していた同級生たちからは、「ベンチャー・リンク? 何その会社?」と聞かれましたが、迷うことはありませんでした。

最初に担当したのは、当時まだ15店舗ほどしかなかった焼き肉レストラン「牛角」です。外食産業への進出を狙う中小の建設会社なども多かったので、そういう企業の経営者にフランチャイズの加盟店になりませんかと営業に行きました。対面のトークにはいまいち自信がなかったので、会社に戻ってから書く御礼状にありったけの力を注ぎました。そこで役立ったのが、大学時代の競馬予想コラムで鍛えた文章力です。