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『マッカートニーIII』というタイトルは、あまりにシンプルで、やる気のなさを感じる人もいるかもしれない。だがこのタイトルにはじつは長い歴史と深い意味がある。ポールは今までに2回、自分1人で作り上げた正真正銘のソロアルバムを、『マッカートニー』というタイトルで発表しているのだ。そのどちらもポールが音楽人生の転機を迎えたタイミングだった。

最初の『マッカートニー』は、51年前の1970年4月17日に発売されている。69年9月20日にジョンのビートルズ解散宣告を受けて、失意のなかほぼ1人(妻リンダが一部の曲でコーラスで参加)で制作したアルバムだ。評論家たちは「粗雑」「軟弱」と批判を浴びせたが、ファンにはポールの心もようが染み入り、全英2位、全米1位のヒットを記録。ビートルズ解散が生んだ素顔のポールが垣間見えるアルバムとして、今もポールの最高傑作にあげる人も多い。

2枚目は41 年前の1980年5月16日に発売された『マッカートニーII』だ。ビートルズを越えようと結成したウイングスの活動がピークを過ぎ行き詰まるなか、個人的な楽しみで気ままに遊んでいたらできあがったという作品だった。これもすべてを1人で作り上げた。「カミング・アップ」や「テンポラリー・セクレタリー」といった当時流行のテクノやニューウェイヴを意識した曲も多く、全英1位全米3位のヒットとなっている。

『マッカートニー』がビートルズ解散、『マッカートニーII』がウイングス解散と、いずれもポールにとってはネガティブな時期に1人で制作した、自分や自分のサウンドを見つめ直した作品なのだ。だが転んでもただでは起きないポール。『マッカートニー』のあとには完成度の高い『ラム』の制作を経て、ウイングスを結成して再び世界制覇を達成。『マッカートニーII』のあとには何枚かのコラボアルバムの発表を経て、現在へとつながるマッカートニーバンドを率いてのワールドツアーの時代を切り開いている。ポールは今回も含め、苦難の時代をみずからの「音楽力」で乗り越えてきたのだ。

パンデミックでワールドツアーやさまざまな音楽活動を制限されるなかで、1人で制作した『マッカートニーIII』もまたポールの新しい活動の幕開けを告げるアルバムになるか。ポールの新たな活動の次の一手を大きな期待を持って待ちたい。

世代を超えたミュージシャンたちによるカバーアルバムも

さらにポールは新たなアルバム『マッカートニーIII IMAGINED 』を4月16日に世界同時デジタル配信開始。7月23日にCDとLPで発売する。

これはポールの『マッカートニーIII』収録曲を、世代を超えたミュージシャンたちがカバー&リミックスしたアルバム。参加ミュージシャンはエド・オブライエン、Beck、アンダーソン・パーク、フィービー・ブリジャーズといった当代の人気者たちで、アメリカの人気ラッパー、ドミニク・ファイクがカバーした「ザ・キス・オブ・ヴィーナス」はアルバムの発表と同時にミュージックビデオが先行配信された。参加者の人選はポールみずからが行ったという。

「イエスタデイ」をはじめポールの曲は世界で最も多くカバーされている。今回の作品はそれを逆手にとったポールらしい企画盤だ。1人で作ったアルバム収録曲を発売直後に多彩なミュージシャンがカバーする。こんなぜいたくな遊びができるのは多くのミュージシャンに敬愛されるロックレジェンド、ポールならではだろう。

また、ポール自身が50年に及ぶキャリアを総括しながら、彼が発表し続けてきた名曲誕生の秘密を明かすシリーズ『McCartney3,2,1』が7月16日から米国のHuluで配信されることも発表されている。[日本での配信は7月11日現在発表されていない]

広田寛治
1952年愛媛県松山市生まれ長崎育ち。山梨県立大学講師などを経て、作家・現代史研究家。日本文芸家協会会員。『大人のロック!』(日経BP/ビートルズ関連)、文藝別冊(河出書房新社/ロック関連)、ムック版『MUSIC LIFE』(シンコーミュージック/ビートルズ関連)などの執筆・編集・監修などを担当。主な著書に『ロック・クロニクル/現代史のなかのロックンロール(増補改訂版)』(河出書房新社)などがある。
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