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青春のギャラリー

マンガ雑誌の表紙にひかれた少年 「アイコン」創作へ名古屋画廊 中山真一

2021/7/9

青春のギャラリー

佐藤可士和《6ICONS》(1989年、各145.6×103センチメートル、シルクスクリーン・紙)
才能や感性を鋭く問われる画家らアーティストは、若き日をどう過ごしたのか。ひとつの作品を手がかりにその歩みをたどる連載「青春のギャラリー」。ガイド役は名古屋画廊社長の中山真一さん(63)です。中山さんは「いつの世もアーティストが閉塞感を突破していく。自分を信じて先人を乗り越えていく生き方は、どんな若者にも道しるべを与えてくれるのではないか」と語ります。(前回は「35歳で欧州留学、模写に没頭 草花の声聴く晩成の画家」

これらはなんだ? 6つとも、えらく目をひく。けれどポスターでも単なる記号でもなさそうだ。それぞれに文字があるものの、商品名とかが書いてあるわけではない。心の動きを図式にしてみたか。見るひとをなにか誘導しようとしているのか。とにかく、ひとつひとつがエネルギッシュでかっこよく、ガチッと決まって、よき佇(たたず)まいがある。日本の美学「潔さ」もある。見るひとに何かをはっきりと印象づけるものにはちがいないであろう。

この《6ICONS》(1989年作、シルクスクリーン・紙。アイコン=ものごとを視覚的かつ象徴的に表現する絵記号)の作者である佐藤可士和(さとう・かしわ)は、1965年(昭和40年)に東京都で生まれた。ロシア語学者の祖父が命名。父親は建築家であった。ディック・ブルーナの絵本に親しみ、自身も絵を描くのが大好き。幼稚園の年長クラス時には自分は絵が得意なんだと自覚する。5歳で剣道を始め、道場のようなすっきりとした空間をこの頃から好むようになった。稽古での相手との間合いの取り方も、のちのち他者とのコミュニケーションに応用されていく。一方で、おしゃべり好きの一面もあった。

ポスター広告「プール冷えてます」に衝撃

小学校3、4年生になると少年マンガ雑誌の表紙を本物そっくりに描こうとする。表紙とは中身を1枚で言い表すもの。「天才バカボン」などのメインビジュアルにタイトルロゴの組み合わせ。いま思えば、とくにロゴの奥に雑誌の中身以上の広大な世界を感じとっていたかもしれない。中学時代は情報誌「ポパイ」を好む。少しヒネリを加えたものが、よりかっこいいと知った。

高校2年生の冬、同級生が美術大学を受験すると聞き、それまで漠然とした文系志望が俄然(がぜん)、美術系志望へと変わる。必ず「クリエーター」になるという気持ちまで固めることとなった。2浪して多摩美術大学グラフィックデザイン学科に入学する。刺激的な現代アート、とくにニューヨークで見たウォルター・デ・マリアの展示室全体に土がしきつめられているインスタレーションに衝撃をうけたり、みずからパンクロックバンドを組んだり。新しい価値や視点の提示ということでは絵画も音楽も同様であると気づいた。卒業制作は巨大なキャンバスにさまざまなオブジェがつるされたもの。黒い絵の具がエネルギッシュにぬられてもいる。

そんな大学時代、もっとも感銘ぶかかったのは、遊園地「としまえん」(東京都練馬区)のポスター広告「プール冷えてます」を見たとき。画面中央にタテ書きでそう大書されており、水着姿のモデルもいなければプールもない。左下に小さなロゴ。被写体と言えば右下に浮輪を付けたペンギンが小さくイラストされているだけ。わずか3色。佐藤はそこに、それまでの常識を破る価値の転換をみた。あわせて広告やクリエイティブの可能性も。自分も新しい価値を提示したい。広告会社「博報堂」のアートディレクター大貫卓也の仕事と知り、同社への就職を希望する。

念願かなって博報堂に入社したものの、思わぬ事態がまちうけていた。大阪の支社への配属である。東京生まれの東京育ち、それに憧れの大貫のそばで仕事をおぼえていけると思いきや、まるで現実感がわかぬままに大阪へ。自分の意思がまったく通らぬことがありえるのが社会というものか。大阪へ来てしばらくは挫折感にさいなまれた。知己もいない。しかしそれを振りはらうように、当時まだめずらしいマッキントッシュを最初のボーナスで買い、毎夜つぎつぎと黒一色でアイコンの印象的なデザインを試みていく。「SELF」「DESIRE」「FUTURE」などの文字は、当時の佐藤の内面表出か。そして佐藤の制作するアイコンは、本作品《6ICONS》をはじめ100を超えていった。24歳のときである。

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