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U22
「研究室」に行ってみた。

2021/6/24

「研究室」に行ってみた。

なお、根拠に基づいた医療(EBM)が提唱されて普及した背景には、臨床現場の医師の体験にはバイアスがかかることを医師たち自身が自覚したことに端を発する。その診断なり治療法なりがよいものかどうか、医師の実感ではなく、きちんとした研究デザインで導かれたエビデンスに基づくことが求められる。そして、もしもエビデンスがない場合は、自分が試みている有望な治療などについて、適切な研究を行うことで新たなエビデンスを産出することも推奨される。

日本の発達障害研究をリードしてきた神尾陽子さん。

神尾さんとの対話が刺激的に感じるのは、臨床医としてエビデンスを活用する立場でありつつ、常に新しいエビデンスを産出する意識で活動していることだ。日々の臨床的な実践から、俯瞰して疫学の道具を使った時に見えてくる課題解決への意識(まさに公衆衛生的な観点)、もっといえばそれを社会的に実装するための機微まで、切れ間なく接続されている。

九州での「実現しなかったコホート研究」は、研究そのものとしては結実しなかったけれど、副産物として「新しい尺度」を確認できたり、「定型と非定型の連続性」を示唆したりできた。また、京都時代からの経験で、地域に出ていくと病院に来る人たちとは違うリアリティ、つまり、病院に来ないけれどやはり苦労している人や、病院に来るまでもなく身近な環境の中でうまく解決している「市中のベストプラクティス」「家庭のベストプラクティス」の事例があることも確信できた。これは神尾さんや仲間たちを勇気づける研究や経験の積み重ねだった。

もっともこの時点では、それらの多くがまだ神尾さん自身の実感のレベルで、他の専門家たちを説得するには至らない。そこで2006年、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所に赴任し、政策立案にも資する研究をする立場から、まず行ったのが「日本の小中学生2万人調査」だった。

「児童・思春期精神保健部長に着任したのは、ちょうど翌年に発達障害者支援法ができるタイミングでしたので調査のための研究費もつけてもらえたんです。日本の中で、自閉症をはじめとする発達障害がどれくらいの頻度で存在しているのかを調べました。ただ、最初は、反対も多くて、『先生は、正常な人までスペクトラムにいれるんですか』とか、『過剰診断につながるんじゃないんですか』などと言われました」

この手の調査は、金銭的な負担が大きいだけでなく、ひたすら手間をかける必要があり、神経をすり減らすものなので、行う研究者がなかなかいない。神尾さんは国立の研究機関としての立場からその正当性を訴え、なんとか成し遂げた。トータルで日本の小中学生2万3千人を対象にして、発達障害の有無にかかわらず、SRSという自閉症尺度の検査を行った。

一般児童集団におけるASD症状の連続分布。SRSは対人コミュニケーションをはじめ、自閉症的な行動特性を評価する尺度。全国の小中学校の通常学級に通う生徒たちを対象に広く調査を行った結果、自閉症の傾向は連続しており、グレーゾーンがあることも示された。Kamio et al.(2013)より引用改変。(画像提供:神尾陽子、こころの健康教室サニタ「心の健康発達・成長支援マニュアル」「第2章:こどもの心のトラブルとその特徴 vi心の問題を抱えやすい発達障害」(岡琢哉、神尾陽子)より転載)

結果、おそろしいほどきれいに連続的な分布が得られた。定型発達する人たちの中にも分布がある中で、その片方の裾野がひたすら長く連続しており、まさにスペクトラムである。このうち裾野にいるスコア上位者の2.5パーセントくらいは、診断がつく自閉症スペクトラム症かもしれないが(もちろんこれはあくまで一つの尺度にすぎないのでこれだけで決まるわけではない)、それよりも印象的なのは、「定型」の中にも分布があり、その一部は、ほとんど「非定型」に近いスコアの人もいることを、説得力のある図像とともに示していることだ。かつて言われていたような「正常と異常」「健常と障害」というくくりで語られるものではないことは明らかだ。

こういうことは、臨床医たちも研究者たちも薄々気づいていたし、それは世界各国でも同様だった。だから、2013年に改訂されたアメリカのDSM-5で、自閉スペクトラム症の概念が提案されたわけで、臨床医の側も大枠ではすんなりと受け入れることになったのだった。

もちろんかつて一部の臨床医たちが、「正常な人までスペクトラムに入れるんですか」「過剰診断につながるんじゃないんですか」などと言ったことにも、正当な理由がある。20世紀、自閉症の診断を受けること自体が強烈にネガティブなスティグマ(烙印)として機能した時代があり、その頃を知っている臨床医ほど、最初、受け入れ難いと感じたのではないだろうか。しかし、結果的に、「正常と異常」が本質的なものとして決定されているわけではなく、あくまで連続的なもののどこかを切るのが診断なのだと明らかになることで、スティグマの絶対性は弱まったかもしれない。また、今、自閉スペクトラム症をはじめとする発達障害の本を読んだ人のかなり割合が、診断はつかないにしても、自分の中に共通する特徴を感じてやまないのも、こういった「スペクトラムとしての自閉症」という症候観にそぐうものだ。

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