理解されなかった革新性 ホーロー看板とテレビCMで訴求

お湯で3分温めれば食べられる世界初のレトルトカレー。画期的な商品ではあったが、当初は小売店の反応が鈍かった。常温で長期保存できる点が「防腐剤や保存料がたくさん入っているのでは」と勘繰られたのだ。しかも価格は1個80円。当時、市場価格が25~35円だった袋めん(インスタントラーメン)と比べても高く感じられたのだろう。

だが、時は高度経済成長のまっただ中。仕事に忙しい家庭が増え、核家族化が進み始めて、「個食」の需要も出始めた。家庭向け袋めんの販売数が急増したように、「手早く簡単に食べられる」というニーズは確実に高まっていた。

テレビを中心に広告メディアが時代を席巻していく中、大塚食品もボンカレーで広告戦略に打って出た。これが普及に道を開いた。

最初の広告キャンペーンは、人気女優の松山容子さんを起用して、街中に掲げたホーロー製の看板だ。ボンカレーは100%牛肉を使い、国産野菜も入れた。特に当時、牛肉は高価な食材で、なかなか食べられないぜいたく品の一つでもあった。看板に「牛肉 野菜入り」と文字を入れて高級感をアピール。営業担当者が全国を駆け回って、街角に看板を掲げてもらう作戦に出た。

65年に発売した炭酸栄養ドリンク「オロナミンC」でも、俳優の大村崑さんを起用して「元気ハツラツ!」のコピーを掲げたこうしてホーロー看板を広告メディアに育てていった。

日本のあちこちで見られた、初代のホーロー看板

ボンカレーの広告は、大塚グループにとって第3弾の「ホーロー看板作戦」だったといえる。約20人しかいなかった営業担当者が北海道から沖縄まで、1日50~60軒の小売店を訪ね歩いたという。「毎日15枚の看板を掲げることがノルマだったそうです」(伊藤氏)。

普及の決め手になったのは、72年から始めたテレビCMだ。当時、劇画作品をテレビドラマ化して人気だった「子連れ狼」の主人公・拝一刀を模したパロディーCMには、落語家の笑福亭仁鶴さんを起用。「じっと我慢の子であった」のナレーションや「大五郎、3分間待つのだぞ」のせりふは流行語にもなった。

このテレビCMがヒットして、「手軽に食べられるレトルトカレー」の認知は全国に浸透した。翌73年、年間販売数は人口に匹敵する1億食に達し、ボンカレーは「国民食」の地位にのぼりつめた。

(ライター 三河主門)

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