『首切り王子と愚かな女』トル役の井上芳雄と兵士長ツトム役の高橋努(撮影:加藤幸広)

蓬莱さんは、コロナ禍で上演中止や延期が続き、舞台を創ったのは1年ぶりだそうです。「こんな状況でも、芝居を創るのが面白いのは変わらないね」と言われたので、僕もうれしかった。以前とは勝手が違うので、戸惑いもあったと思います。蓬莱さんは稽古や本番の後、よく飲みます。前回の『正しい教室』では毎日のように飲んでいて、そこで役の大事な話をしたりしました。そうやって役者との距離を縮めていたのだろうし、芝居作りはそういうものだという思いもあるでしょう。でも、今は飲めないです。稽古場では、マスクで目しか見えず、顔の下半分は分かりません。舞台に上がって初めてマスクを外したのですが、蓬莱さんも「みんなの顔に最初は慣れなかった」と笑っていました。飲めない、見えないでは演出もやりにくかったでしょうが、「それでも楽しいな、演劇って」と言われました。僕もそう思うし、その楽しさがお客さまに伝わっていればうれしい限りです。

お客さまの想像力にすべてを委ねる舞台

舞台装置は実にシンプル。小さな四角い箱が集まってできた島のような装置がいくつかあって、俳優自身がそれを動かして組み合わせて、いろんなシーンに見立てます。舞台の周りには、見える楽屋があって、役者は出番が終わったら楽屋に戻り、座って次の出番を待ちます。ちょっと見たことのないようなセットです。お客さまの想像力にすべてを委ねるような舞台で、演劇の力を信じて創っています。

蓬莱さんとの作品をプロデュースしてくれているPARCO劇場は、02年に僕が初めて出たストレートプレイ『バタフライはフリー』を上演した劇場で、それ以来、お芝居の多くのことを学ばせてもらっています。昨年新しくなって、客席がひとまわり大きくなったのですが、舞台との距離感はあまり変わらなくて、お客さまが近くに感じられます。舞台面が低いので、お客さまと目線が合いやすいというか、のぞき見されているような感じがあって、リアルなお芝居を伝えるのにはぴったりな劇場です。『首切り王子と愚かな女』を劇場の新しいページにしっかり刻みつけたいですね。

演劇界もまだ状況が落ち着かなくて、そのなかで新作を上演するのは大変なことだと思います。お客さまにしても、興味を持ってくださっていても、何でも見に行ける状況ではないから、有名なタイトルの新作や再演を重ねて面白さが保証されている作品を見たいという気持ちもよく分かります。でも、だからこそ見に来てほしい。今、新しいものをゼロから創るのには普段よりもずっと大きなエネルギーが必要です。その分、いろんな思いが詰まっています。それをぜひ劇場で味わっていただきたいと願っています。

『夢をかける』 井上芳雄・著
 ミュージカルを中心に様々な舞台で活躍する一方、歌手やドラマなど多岐にわたるジャンルで活動する井上芳雄のデビュー20周年記念出版。NIKKEI STYLEエンタメ!チャンネルで月2回連載中の「井上芳雄 エンタメ通信」を初めて単行本化。2017年7月から2020年11月まで約3年半のコラムを「ショー・マスト・ゴー・オン」「ミュージカル」「ストレートプレイ」「歌手」「新ジャンル」「レジェンド」というテーマ別に再構成して、書き下ろしを加えました。特に2020年は、コロナ禍で演劇界は大きな打撃を受けました。その逆境のなかでデビュー20周年イヤーを迎えた井上が、何を思い、どんな日々を送り、未来に何を残そうとしているのか。明日への希望や勇気が詰まった1冊です。
(日経BP/2970円・税込み)
井上芳雄
 1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)、『夢をかける』(日経BP)。

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第96回は7月3日(土)の予定です。


夢をかける

著者 : 井上芳雄
出版 : 日経BP
価格 : 2,970 円(税込み)


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