新型コロナで糖尿病を新たに発症 気になる治療法は?
2020年の春、米国の新型コロナウイルス感染拡大の中心地だったニューヨーク市の医師たちは、新型コロナ感染症の入院患者の中に、血糖値が高すぎる人がかなりいることに気づいた。高血糖は糖尿病の代表的な特徴だ。
「糖尿病の既往歴がないのに、血糖値のコントロールが非常に困難な新型コロナ患者がいることに気づきました」と、米ワイルコーネル医科大学の幹細胞生物学者シュイビン・チェン氏は語る。さらに驚いたことに、新型コロナに感染する前は糖尿病ではなかった人が、回復後に新規に糖尿病を発症した例もあった。
新型コロナウイルスが肺を損傷して急性呼吸器症状を引き起こすことはよく知られている。しかし、感染者がなぜ、どのようにして糖尿病のような慢性疾患を突然発症するのかは謎であり、そうなる人の割合も不明だ。
カナダ、マクマスター大学の集団医学の研究者ティルナブカラス・サティシュ氏が中心となって20年11月に医学誌「Diabetes, Obesity and Metabolism」に発表した系統的なデータ分析では、新型コロナ入院患者の約15%が糖尿病も発症したことが明らかになった。ただし「この割合は、例えば糖尿病予備軍のようにハイリスクな人ではもっと高くなりそうです」と氏は言う。
また、米ハーバード大学医科大学院の内分泌学者パオロ・フィオリーナ氏が主導して学術誌「nature metabolism」に21年5月25日付で発表した研究では、イタリアで新型コロナ感染症により入院した551人の患者のうち、半数近くで高血糖が見られたと報告されている。
「新型コロナの重症患者の30%が糖尿病を発症する可能性」があると米スタンフォード大学医科大学院の生化学者ピーター・ジャクソン氏は推定している。
新型コロナ感染症と糖尿病との驚くべき関連に興味を持ったチェン氏とジャクソン氏は、新型コロナウイルスが高血糖を引き起こすしくみを明らかにするため、それぞれ独自に研究を開始した。チェン氏のグループの研究成果は5月19日付で、ジャクソン氏のグループの結果は18日付で学術誌「Cell Metabolism」に掲載された。
米ジョンズ・ホプキンス大学内分泌・糖尿病・代謝部門のリタ・カリヤニ准教授は、「これらの研究は、新型コロナ感染症が糖尿病を新規に発症させるメカニズムを解明する上で非常に重要な知見です」と評価している。なお、氏はどちらの研究にも関わっていない。
もう一つの標的、膵臓
新型コロナウイルスの影響は人によって大きく異なる。軽症ですむ人も多いが、命に関わるほど重症化する人もいる。病気の実態が明らかになるにつれ、このウイルスが肺だけでなく、肝臓、心臓、腎臓などの重要な臓器にも広がる場合があることがわかってきた。また、糖尿病と肥満は、一般的な重症化のリスク因子であることも明らかになった。
チェン氏のグループは以前、実験室で様々な組織を培養し、どの組織が新型コロナウイルスに感染しやすいかを調べたことがあった。「非常に意外なことに、膵臓(すいぞう)のベータ細胞は新型コロナウイルスに非常に感染しやすいことがわかりました」と氏は言う。
膵臓のベータ細胞は、インスリン(血液中の糖分子を体内の細胞に取り込ませ、エネルギーとして利用できるようにするホルモン)を作る細胞だ。胃の背中側にある膵臓は、消化を助ける細胞を何種類も持っている。
新型コロナウイルスが実験室で培養された細胞に感染するからといって、体内でも同じように攻撃するとは限らない。そこでチェン氏とジャクソン氏の各チームは、実験室での観察結果が人間の体内で起こることを正しく反映しているかを確認するため、新型コロナで死亡した患者の剖検(ぼうけん)サンプルを入手した。両チームとも、死亡した患者の膵臓のベータ細胞から新型コロナウイルスの痕跡を検出した。
では、どのようにして呼吸器系ウイルスが肺から膵臓に移動するのだろうか? ジャクソン氏の説明によれば、肺炎にまでなると、感染により組織が損傷されて肺胞(はいほう)からウイルスが血管に漏れ出すことがあるという。「血流に乗ったウイルスは、膵臓、脳、腎臓など、血管の多い組織に入り込む可能性があります」。また、腸内細菌叢(さいきんそう、細菌の集合)が健康的でない患者では、ウイルスが腸から漏れ出して血流に入ってしまう場合もあるのではないかと推測する研究者もいる。
いずれにしろインスリンが減る
どちらの研究チームも、新型コロナウイルスに感染したベータ細胞はインスリンを産生しなくなると指摘している。ジャクソン氏の研究では、感染したベータ細胞はアポトーシス(プログラムされた細胞死)によって死滅した。一方、チェン氏のグループは、感染したベータ細胞が、インスリンを作らない別の種類の細胞に変化する「分化転換」を起こすことを発見した。
感染したベータ細胞の中には、分化転換を起こすものとアポトーシスを起こすものがあるのかもしれない。いずれにせよ、新型コロナウイルスが膵臓のベータ細胞に感染するとインスリンの産生量が減る点に変わりはない。
これは1型糖尿病の原因になりうる。1型糖尿病は主に自己免疫反応がベータ細胞を攻撃して起こり、若いうちに発症する場合が多い。体内でインスリンが作られなくなるため、患者は毎日インスリンを注射する必要がある。ベータ細胞が攻撃されるようになる原因はまだよくわかっていないものの、感染症などの環境要因が発症のきっかけとなることもある。
一方、1型よりはるかに一般的な2型糖尿病は、インスリンに対する抵抗性が高くなる(感受性が低くなる)ことで発症する。食事や運動を改善して管理できるが、インスリン感受性を高める薬が必要となる場合もある。
米疾病対策センター(CDC)が20年に発表した報告書によると、米国では人口の1割強にあたる3420万人が糖尿病を患っているという(編注:日本の糖尿病の総患者数は、厚生労働省が17年に実施した患者調査によると推計328万9000人)。
新型コロナ患者のベータ細胞の破壊を防ぐ方法はあるかもしれない。そのためにも、感染したベータ細胞の研究は重要だ。チェン氏のチームは、分化転換を防げる化学物質を探すために、膨大な数の候補を調べた。
治療薬の候補
研究の結果、「trans-ISRIB」という物質(統合的ストレス応答経路阻害剤)が、新型コロナウイルスに感染したベータ細胞の分化転換を防ぎ、インスリンを産生する能力を維持させることが明らかになった。13年に発見されたこの物質は、ストレスに対する細胞の正常な反応を抑制し、アポトーシスや細胞損傷が関与する様々な疾患の治療薬として利用できる可能性がある。
チェン氏は「trans-ISRIBは米食品医薬品局(FDA)に承認された医薬品ではないので、まだ患者に使用することはできません」と注意を促す。「けれども私たちの研究は、新型コロナ感染症が糖尿病を引き起こすのを防ぐ新薬を開発できるという見方を支持するものです」
これに対してジャクソン氏のグループは、ベータ細胞の表面にある「ニューロピリン1」というタンパク質受容体が、新型コロナウイルスが侵入する際に重要な役割を果たしており、ニューロピリン1をブロックすることでベータ細胞への感染を防げることを発見した。
研究者の間では、アポトーシスによる細胞死を阻止する薬の開発にも注目が集まっている。重症の新型コロナ感染症の改善や重症化を予防する治療薬として、細胞の自死を防ぐ「カスパーゼ阻害剤」という物質を調べている研究者もいる。カスパーゼ阻害剤には大きな期待と関心が寄せられているが、残念ながら、臨床において完全な成功を収めているとは言いがたい。それでもジャクソン氏は「短期間の投与なら、ウイルスによる損傷を抑えるのに有効かもしれません」と話す。
チェン氏によると、膵臓を損傷するウイルスは新型コロナウイルスだけではない。「コクサッキーB群ウイルス、ロタウイルス、ムンプス(おたふくかぜ)ウイルス、サイトメガロウイルスなどもベータ細胞に感染して損傷を与えることがわかっています。ただし、これらが1型糖尿病の直接の原因になるかどうかは議論が続いています」
ベータ細胞への感染を阻止したり、そもそもウイルスが膵臓に到達しないようにして膵臓への攻撃を無効化できるたりするかどうかについては、さらなる研究が必要だ。
カリヤニ氏は、これらの研究は「新型コロナワクチン接種の重要性をさらに明確にするものです」と強調する。「新型コロナウイルスに感染した人、特に、糖尿病予備軍や糖尿病のリスク因子を持つ人は、頻尿、過度の喉の渇き、目のかすみ、原因不明の体重減少などの高血糖症状が現れた場合には医師に相談すべきです」
新型コロナ感染症とその後遺症については、まだわからないことが多い。どうやら一部の不運な人にとっては、ウイルスに打ち勝つことは新たな闘いの始まりにすぎないようだ。感染によりどの臓器が損傷を受けたかによって、さらなる合併症が生じる可能性がある。
(文 BILL SULLIVAN、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年6月14日付]
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