海城中高は、1891年に海軍予備校として創設された伝統校。志望校を決めるために学校見学に行った際、「厳しいけれど、自主性を尊重する学校」だと感じた。

「父が証券会社を辞めて自分が何一つ知らないことにがくぜんとした」と海城中時代を振り返る

僕はあまり親に褒められた記憶がありません。唯一、褒められたのは猛練習して逆上がりができるようになったときくらいです。そのためか小さい頃から親に褒められたくて何かをすることは一切なく、自分の興味があることを好き勝手にやるタイプでした。海城の学園祭は生徒主体で行われていて、先輩達の顔が輝いて見えました。こういう自主性を重んじる校風なら居心地が良さそうだと感じて受験しました。

通学を始めて一番びっくりしたのは、電車で見るサラリーマンたちのつまらなそうな疲れた顔つきでした。大人たちの仕事ってそんなに面白くないのかとショックを受けました。僕自身は入学早々、当時全盛だった「週刊少年ジャンプ」でドラゴンボールやSLAM DUNK(スラムダンク)をむさぼり読んだり、友達と遊んだりするのが面白く、ギターも始めてものすごく充実していました。一方で成績はみるみるうちに落ちていきました。

何しろ自主性を重んじる学校ですから、勉強したい奴はめちゃくちゃ頑張る。でも僕は、自分であえて勉強しないんだと開き直っていました。さすがに母親から「どうするの?」と問い詰められましたが、「忙しすぎて勉強する暇がない」というのが正直なところでした。

そんなとき、証券会社に勤めていた父親が突然、会社を辞めた。

ある日、晩ご飯を食べていると突然、父親が「会社を辞めることにした」と切り出したのです。家族だんらんの空気が一瞬で凍りつきました。「辞めてどうするの?」と聞くと「何も決まってない。とにかく辞めるんだ」と言います。僕は私立の中高に行っているし妹もいますから、母親は相当ショックだったでしょうね。あまりに唐突で僕も驚きました。でも実は内心「良かったじゃん」とも思ったのです。

というのは、父は僕が物心ついた頃から、毎日早朝から夜遅くまで働いていましたが、仕事に出かけるときはいつもすごく楽しそうでした。僕はそんな父を「カッコいい」と尊敬していました。「将来はお父さんみたいな会社員になりたい」と憧れていたくらいです。ところが、辞めると言い出す少し前から、表情に陰りが出てきて、「最近なんだかカッコ悪いな」と思っていました。僕は、電車に乗っているサラリーマンのつまらなそうな顔にがっかりしたり、学校を決める時も先輩の顔つきを判断基準にしたりしていたので、父がそんなつらい顔をするくらいなら、仕事なんて辞めていいなんて思っていたのです。

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