1990年代は、ゲノム科学の興隆前夜で、機能的MRIなどを使った脳機能研究は興隆期に入ったところだった。もっとも、神尾さんが駆け出しの研究者として行った認知研究は、当時の最先端機器だったMRIを使うのではなく、伝統的な心理物理学的な手法(与えたタスクに対する反応を物理的な指標で見る手法)で、自閉症の認知メカニズムを探るものだった。よく引用された研究には、こんなものがある。
「自閉症者の言語、というテーマでした。自閉症やアスペルガー症候群の人は(高い言語力を身につけても日常会話がうまくできないのは)自然な連想があんまりうまくいってないんだろうという仮説を立てて、それを検証しました。この仮説の背景には、統合失調症の人は連想が過剰に進みすぎているから支離滅裂なことを言うのではないかという別の有力な仮説があって、じゃあ、自閉症の人は知識がいっぱいあっても、自然な連想が出ないから自然にふるまえないんだろうかというところから始まっているんです」
連想にかかわる刺激を与えて、反応時間を測る。この場合、測定する物理量は時間ということになる。
「会話の中で、ある言葉が出てきたら、次に近い意味の言葉が出てきた時に、定型発達の人は反応速度が早くなるんです。でも自閉症の人は、そのスピードがほとんど速くなりませんでした。前にどんな刺激を与えても回答のスピードはほぼ一定。だから連想という無意識レベルの効果がなくて、そのために会話がむずかしくなるだろうなという結論です。会話をするというのは、相手の話を聞いて、自然に自分の中で連想がわいて、ということの連続じゃないですか。でも、それがないわけだから、自然にできないんです。一方で、絵を見せると連想がよく働くことも分かって、つまり意味は分からないわけではないのに、言葉を使う時に連想が働きにくいわけです」
ぼくたちは言語を当たり前のように使っているけれど、よくよく考えてみるととても不思議だ。書き言葉と話し言葉があって、それらが不思議な形と音を持っていて、目でその形を見たら音が頭に浮かぶ。しかも意味と結びつく。ものすごく複雑な処理をしている。自閉症を持つ人は、その一連の中のどこかがうまく働かなくて、連想が出にくくなるという見立てだ。
「それまでにも自閉症の支援では、絵で見て分かるように構造化していこうという、アメリカ、ノースカロライナ州で始まったTEACCHという環境調整を重視する(包括的な)アプローチがあって、視覚的な情報伝達を重視してきました。言葉ではなく、絵を使って伝えると、自閉症の子もよく分かるんです。ですから、わたしの研究で絵だと連想が働くという結果が出た時には、それを支持する例だと歓迎されました。経験上こうしたらいいって分かっている支援に、根拠を与えるような研究だったと思います」
この時点で神尾さんの方向性がある程度、ほの見えているようにも思う。個々の患者を見つつも背景にある一般性、普遍性について見通したいという願いが強い、というか、治療の根拠となる科学的な知見をユーザーとして活用するだけではなく、みずから産出していこうとする「エビデンス・マインド」の萌芽を感じてならない。
実際、神尾さんは、認知実験を続けていた90年代、まずはイギリスのロンドン大学付属精神医学研究所に留学し、さらにアメリカのコネチカット大学に研究員として滞在することで、1990年代に英米でまずは本格化していた根拠(エビデンス)に基づいた医療(EBM:Evidence Based Medicene)の新風に触れており、ちょうど勃興したばかりの精神医学分野のEBMを日本で実践していくことになる。