大地震の引き金か 32年間続いた「ゆっくり地震」
1861年2月、インドネシアのスマトラ島沖でマグニチュード8.5の巨大地震が発生、大地が激しく揺れ、水の壁が海岸に押し寄せ、何千人もの犠牲者が出た。
しかし、この悲劇は単独で起きたのではなかったようだ。巨大地震に至るまで32年間にわたり、ゆっくりとした「地震」が地中で静かに起こり続けていたことが最新の研究で判明、2021年5月3日付で学術誌「Nature Geoscience」に発表された。
「スロースリップ(ゆっくり地震)」と呼ばれるこの現象は、数日から数カ月、ときに数年に及ぶことが知られている。だが今回報告された32年間という期間は、これまでに知られていた最長記録を大きく上回っている。
「これほど長く続くスロースリップがあるとは思いもしませんでしたが、事実、あったのです」。シンガポールの南洋理工大学が設置しているシンガポール地球観測所の測地学者で、論文の著者の一人であるエマ・ヒル氏はそう語る。
今回の発見は、地球の活動の多様さだけでなく、スロースリップが大地震の引き金になりうるのかどうかについて知るきっかけにもなるだろう。
スロースリップでは、通常の地震と同じように、プレートの移動によって蓄積されたエネルギーが放出される。しかし、地面を揺らして爆発的に放出するのではなく、ゆっくりと時間をかけてひずみを放出するため、スロースリップ自体が危険なわけではない。ただ、スロースリップが隣接エリアに負荷をかけることで、付近でより大きな地震が発生するリスクが高まることになる。
現在のインドネシアでも、そうした懸念が持ち上がっている地域がある。スマトラ島南方沖にあるエンガノ島について「沈み込みが少し早すぎる」と、今回の論文の著者である南洋理工大学のリシャブ・マリック氏は話す。1カ所で得られたデータでしかない点には注意が必要だが、スロースリップがすでに島の近くで進行している可能性があるという。
「19世紀に起きたことは、決して例外的な事例ではありません。私たちは今まさに、同じような現象を目の当たりにしています」とマリック氏は述べる。
サンゴに残された手掛かり
今回の研究では、意外なものを利用して地殻変動の痕跡を解読した。サンゴだ。
ハマサンゴ属(Porites)をはじめいくつかのサンゴの仲間は、ぎりぎり水面下に達するまで成長する。水面が上がると、サンゴはまた急速に上に向かって伸びる。水位が下がると、空気に触れている部分は死んでしまうが、水につかっている部分はやはり、どんどん広がっていく。
これらのサンゴは、まるで木に年輪ができるように、層状に重なって大きくなっていくため、その外骨格を調べれば水位の相対的な変化が読み取れる。「サンゴは天然の潮位計のようなものです」とヒル氏は言う。
水位の変化には、氷河の融解といった気候変動に起因するものと、地形の変化に起因するものがある。スマトラ島の西海岸では、地下のプレート間の衝突によって後者が起きている。
この地域では、オーストラリアプレートがスンダプレートの下に沈み込んでいる。プレート同士がぶつかると、下降するプレートがその上にある土地を引っ張り、地表がたわむ。このひずみが大きくなって地震が発生すると、沿岸部が一気に上昇することがある。2005年にスマトラ島沖で発生したマグニチュード8.7の地震では、そうしたことが起こった。
「地震でサンゴ礁が上昇し、生態系は丸ごとその場に取り残された」。今回の論文の共著者であるアロン・メルツナー氏は2005年、フィールド調査での経験をそうブログに記した。エダサンゴ、ウニ、貝、カニなどが、ほぼ乾燥した地表で死んだり死にかけたりしていたという。
現在は南洋理工大学の地質学者であるメルツナー氏は、スマトラ島周辺のサンゴに留められた数々の記録をひもとくために、毎年のようにこの地を訪れた。2015年には、1861年の巨大地震に至る地表の動きについて論文を発表した。
サンゴを調べたところ、スマトラ島西方沖のシメウルエ島付近の地盤は、1829年以前は1年に1~2ミリ程度沈んでいたことがわかった。だが1829年以降、沈む速度が急に跳ね上がり、1861年の大地震が起こる前は、年間最大10ミリの沈み込みがあったことが判明した。
2016年、南洋理工大学のマリック氏は、サンゴのデータに改めて目を向け、沈み込み帯で起きる物理現象と断層沿いの流体の動きをモデル化した。その結果、大地震の32年前から沈み方が大きく変化したのは、蓄積されたひずみが解放されて起きたスロースリップによるものと解明した。
地震は多種多様
スロースリップは1990年代後半に、北米の太平洋岸北西部や日本の南にある南海トラフで確認されたことでようやく知られるようになった。エネルギーがゆっくりと放出されるため、地表での変化はごくわずかだ。そのため、GPS技術の向上により、そうした微小な変化を記録できるようになるまでは発見されなかった。
だがその後の研究で、ニュージーランド、コスタリカ、米アラスカ州など、様々な地域でスロースリップが発見されている。「至る所で、揺れを伴わないスリップが起こっています」と、フランスのパリ高等師範学校(ENS)の地球物理学者ルシール・ブリュア氏は言う。なお、氏は今回の研究には参加していない。
スロースリップには様々な種類がある。北米太平洋岸北西部では約14カ月に1回、南海トラフでは3~6カ月に1回という驚くほど規則的なペースで発生している。どちらの地域でも、長期間にわたるスロースリップには、数多くの「トレマー(微動)」と呼ばれる小さな地震が伴う。
ブリュア氏はこれを、人が木の床の上を歩くときに例える。「あなたが動きまわると、床はあなたの周りできしみます。そのきしみが、トレマーです」
また、スロースリップの持続時間が様々であることもわかってきた。例えばアラスカでは、スロースリップが少なくとも9年間続いていたことが発見されたが、これは2004年に地表の上昇が止まってから初めてわかったのだとマリック氏は言う。今回研究が行われたスマトラ島付近でのスロースリップは、これまで考えられていたスロースリップの最長持続時間を更新した。
「多くの研究者が、より大規模で長期にわたるスロースリップはあり得ると考えてきました」。米テキサス大学オースティン校およびニュージーランドの研究機関GNSサイエンスの地球物理学者ローラ・ウォレス氏はそう話す。なお、氏も今回の研究には参加していない。沈み込み帯付近の地表の動きを継続的にモニタリングすることができるようになったのは、ここ数十年のことである。つまり「私たちが見ているのは、ほんのわずかな時間のスナップショットにすぎないのです」
観察を続ける
スロースリップを理解することは、より大きな地震を誘発する潜在的なリスクを把握する上で、非常に重要だ。2004年にインドネシアで発生したマグニチュード9.1のスマトラ島沖地震、2011年に日本で発生したマグニチュード9.1(USGS)の東北地方太平洋沖地震、2014年にチリで発生したマグニチュード8.2のイキケ地震など、多くの記録的な巨大地震の前にはスロースリップが発生している。
「スロースリップは今、この分野でホットな話題です」。米カンザス大学でスロースリップを専門に研究する地球物理学者ノエル・バートロー氏はそう話す。氏も今回の研究には参加していない。しかし、スロースリップが実際に大きな震動を引き起こす可能性があると証明することは、長年の課題だ。すべてのスロースリップが大きな揺れにつながるわけではない。
「証拠は増えつつありますが、まだいくつかの事例研究にとどまっています」と氏は言う。
この課題の難しさの一つは、長く続くスロースリップを「現行犯」でとらえることが簡単ではない点だ。バートロー氏によると、今回の研究におけるスロースリップは、陸地から離れた海中にある断層の浅い部分に沿って発生した。全地球測位システム(GPS)の信号は水中深くまで届かないため、従来のGPS装置は海底では役に立たない。また、インドネシアのサンゴのように、スロースリップの痕跡が自然の中に記録されている場所は少ない。
測定に使える装置はあるにはあるが、高価だとバートロー氏は言う。氏は、光ファイバーを利用して地表のひずみを測定する装置を用い、北米太平洋岸北西部の浅い海底でスロースリップを探そうと計画している。
モニタリングは科学者にとって「あまり面白くない仕事」と考えられがちだが、この複雑な地球の仕組みを理解するためには不可欠だとヒル氏は言う。
「テクトニクスのことを理解したと思うたびに、地球はまた新しい驚きを与えてくれます」とヒル氏は語る。「長期にわたるデータを集めれば集めるほど、このような驚きが増えていくのです」
(文 MAYA WEI-HAAS、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年6月2日付]
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