高血圧が非常に悪化した状態のまま働き続けると、先ほどのFさんのような脳梗塞だけでなく、脳出血や心臓疾患、めまい、意識消失といったさまざまな体調不良が起きるリスクが高くなるからです。

糖尿病、不整脈などの心臓疾患、腎臓疾患、肝機能障害、貧血なども、治療していなかったり治療が不十分だったりして高度に悪化している場合は、何らかの就業制限が産業医から意見されることがよくあります。

産業医が就業制限措置を意見するまでの過程では、数年前から「要検査」「要精密検査」「要治療」などと健康診断の結果で指摘されているのにもかかわらず、2次検査や治療を受けず放置した結果、病状を悪化させてしまったパターンが圧倒的に多く見られます。

産業医としては、「もう少し早い段階で治療を始めてくれていたらここまで悪化せず、就業制限をかけなくても済んだのに」と非常に残念な気持ちになります。

先ほど「健康診断を受けることは労働者の義務として労働安全衛生法で定められている」ということを述べましたが、実は労働者は健康診断を受ける義務だけでなく、「自分の健康を保つための努力をする義務」も負っています。これは「自己保健義務」と呼ばれています。

自己保健義務は簡単に言うと「労働者は、業務が提供できるような健康状態を自分自身でも可能な限り整える義務がある」ということです。

過労死で賠償金が相殺された例も

もちろん多くの病気の発症は遺伝や体質、さまざまな環境要因が絡んでいるため、本人の努力だけでは予防できないものです。

しかしもし健康診断で病気や異常が見つかった場合は、会社側は安全配慮義務に基づきそれ以上悪化させないように受診を促したり状態によっては就労を調整したりする一方、労働者側は自己保健義務に基づき速やかに健康を回復するための行動をとらなければならない、ということになるのです。

健康診断で異常値が見つかって産業医面談を行っても、

・「高血圧だけど、薬は一度飲むと止められなくなるらしいから絶対に飲みたくない」
・「糖尿病で食事を制限するのは嫌だしお金もかかるから、治療はしたくない」
・「酒を飲む楽しみをやめたくないから、肝機能が悪化していても病院には行かない」

などと抵抗し、治療を拒否する社員もまれにいます。

会社側は治療を社員に強要することはできませんが、健康状態が悪化したまま通常業務に就かせることは安全配慮義務に反しますので、当然ながら悪化の程度によって仕事の制限がなされることになります。

さてもし会社が産業医の意見を無視して、その社員の病気が悪化していることを知っていたにもかかわらず、長時間労働などをさせて過労死が発生し、労災が絡んだ労働争議に発展したとしましょう。

この場合も裁判によって労働者側が自己保健義務を怠っていたことに原因があると判断された場合は、労働者側に非常に不利な判決になる可能性があります。

実際の判例では、長時間労働を続けた後に脳出血によって過労死が発生したシステムコンサルタント事件(東京高判平成11.7.28判時1702-88)が有名です。

この労働裁判では会社側の安全配慮義務違反があったと認めたものの、高血圧を自覚しながら治療を受けていなかった労働者側の自己保健義務違反もあるとされ、賠償額が過失相殺によって50%減額されてしまいました。

最近はコロナ禍で自宅勤務が増え、そのせいもあって体重が増えているビジネスパーソンが少なくありません。中高年にとって、体重の増加はそのまま生活習慣病のリスクの増大につながります。Fさんのような悲劇が繰り返されないよう、健康診断や人間ドックにて自分の体の状態を把握し、病気の早期発見、早期ケアを心がけましょう。

[日経Gooday2021年6月4日付記事を再構成]

奥田弘美さん
精神科医(精神保健指定医)・産業医・労働衛生コンサルタント。株式会社朗らかLabo 代表取締役。1992年山口大学医学部卒。精神科医、そして約20の事業所の産業医として、日本経済を支える働く人の心と身体のケアを日々応援&サポートしている。これまでにメンタルケアを担当したビジネスパーソンは累計2万人以上。マインドフルネスやコーチングを活用した心の健康法も、執筆やセミナーなどにて提案している。 著書には『1分間どこでもマインドフルネス』(日本能率協会マネジメントセンター)、『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』(すばる舎・共著)など多数。最新刊は『「会社がしんどい」をなくす本 いやなストレスに負けず心地よく働く処方箋』(日経BP)。

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