【60~70年代】おしゃれを自由に エスニックやヒッピー調

洋服は仕立てるものから購入するものへと変化(森英恵/ジャンプスーツとカフタン「菊のパジャマ・ドレス」/1966年 島根県立石見美術館)

日本ファッションの発展は、世界的に見ても特殊な道筋をたどりました。もともと洋装のルールが根付いていなかったのに加え、アジアという地理的位置づけ、着物という伝統的服飾文化などが混じり合って、60~70年代にはエスニック調やヒッピーテイストなど自由度の高いデザインが生み出されていきました。当時の開放的な若者文化もこうした流行を後押ししたようです。

こちらの「菊のパジャマ・ドレス」は欧州由来のジャンプスーツ(上下がつながったパンツ・ワンピース)と、トルコの民族衣装「カフタン」が融合。パジャマ風でありながら、優美なロングドレスに仕上がっています。

国民総生産(GNP)が世界2位になった60年代後半は、ミニスカートが日本でも流行。男性には米国の大学生をイメージさせる「アイビー」スタイルがヒットした時代でもあります。70年代に入り、学生運動や民主主義の象徴としてTシャツやジーンズが若者の間で広がりました。

【80~90年代】働く女性の増加が女性像を書き換え

男女雇用機会均等法施行、バブル景気で「ボディコン」ブームの時代に(ジュンコシマダ/88-89AW/1988年/Photo: Guy Bourdin)

女性の装いは、社会進出の広がりにつれて、様変わりしていきました。男女雇用機会均等法が86年に施行されたのを節目に、スーツ姿のオフィスルックが浸透。続くバブル期には体にピッタリ沿うボディーコンシャス(ボディコン)のシルエットがブームに。ポジティブな生き方や芯の強さを印象づけるような自己表現としてのファッションが盛り上がりました。

日本のアパレルメーカーによる高級ファッション「DCブランド」に熱気(花井幸子/1990年秋冬コレクション/1990年)

好景気を追い風にファッションの選択肢がぐっと広がった80年代末~90年代初めには、女性像にも変化が起きました。経済的に自立した女性が増えて、働く女性の呼び名も、それまでの「OL」から「キャリアウーマン」へ。他者にもたれかからない生き方が支持を得て、装いのほうも凛(りん)とした強いムードが好まれるように。目先の流行を追うのではなく、着る人が主体的に選ぶ「着こなし」が重視される傾向が強まってきて、自分らしさを優先する意識は今につながっています。

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【2000年以降】着心地や機能性重視 多様性や愛着志向へ