チューリップとコロナ禍 オランダの花産業の変化
世界のチューリップの約90%を生産するオランダ。その有名な花市場は、過去に危機に陥ったことがある。最も知られている例は、1630年代のチューリップバブルだ。1つの球根の価値が平均的な労働者の年収の10倍にまで高騰した後、1637年に突然市場が暴落した。
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が襲った2020年の春、価格が最低の水準には至らなかったものの、ロックダウン(都市封鎖)や市場の閉鎖により、チューリップや球根の世界的な需要は大幅に減少した。オランダの生産者は、何億本ものチューリップやスイセンなどの花を廃棄するか、例年よりもはるかに安い価格で販売しなくてはならなかった。
「20年にオランダで取引された花や植物は合計114億個で、19年に比べて7.8%減少しました」と、業界のコングロマリットであるロイヤルフローラホランド社のミシェル・ヴァン・シー氏は話す。同国の輸出は、19年の62億3500万ユーロ(約8300億円)から、20年には59億7400万ユーロ(約7900億円)に縮小している。
観光業とともに、オランダの花市場は大きな打撃を受けた。レストランやホテル、結婚式などのイベントでの需要は激減。3月中旬から5月上旬までのチューリップの開花時期に、農場、販売者、競売所、観光業に大きな影響が出た。
「0.05ヘクタールの温室1つ分のスイセンを枯らせて、機械で破壊しなければなりませんでした」と、ノールトウェイケルハウトで花農場を経営するクラース・ヴァン・ヘイジ氏は語る。多くの生産者がそうであるように、ヴァン・ヘイジ氏も20年には収穫した花の約10%を廃棄しなければならず、細断して堆肥にしたり、花を慈善団体に寄付したりした。
「20年には合計で32ヘクタールの球根を植えました」。そう話すのは、北オランダで夫のロナルド氏とともに、チューリップ、スイセン、クロッカスの農場を経営するキャロライン・ディグナム氏だ。「手間暇をかけた、たくさんの球根を処分しなければならないのは、悲しいことでした」。夫婦で植えた25ヘクタール以上のチューリップの球根のうち、3ヘクタール分を堆肥化し、約18万ドル(約1900万円)の損失を出した。
新型コロナは花の競売にも大きな影響を与えた。通常、平日の競りでは、数百人の入札者が巨大な倉庫に入り、売り場の上にある2階の通路からチューリップやバラ、スイセンなどを品定めする。競りは「ダッチ・オークション」と呼ばれるオランダ式で行われ、価格は高いところから始まって、入札されるまで下がる。
同社の競売人であるマルヤン・ヴァン・デル・プラス氏は、「パンデミック前は、一度に900人近くが入札に参加できました」と語る。現在は、100人ほどしか中に入ることができず、オンラインでの入札も多い。
「個人的な交流が恋しいですね」。同じく、同社の競売人であるリンダ・デ・ロイター氏はそう言う。「バイヤーがステージ上で自分の目で商品を見ている時の、あの感覚が、今はもうないのです」
オランダのチューリップ・花産業は、1個のチューリップの球根から始まったと言われる。ユリの親戚であるこの植物は、アジアが原産地。トルコを経由して、17世紀に繁栄したオランダの海運商人が持ち帰ったようだ。
進取の気性とインフラ(そして理想的な生育気候)が備わったオランダで、チューリップは次々に植えられていった。園芸家は裕福な土地所有者のために新しい品種を開発し、整った水路や道路がそれらを市場に運ぶのに役立った。17世紀にはヨーロッパ中でチューリップが大流行。現在では、青以外のほぼすべての色で約4000品種が存在する。
「今年はみんな楽観的です」
21年3月から4月にかけて、オランダ西部のボレンストレーク(球根地帯)では、赤いチューリップ、紫のヒヤシンス、黄色のスイセンが次々と咲き始めた。花の販売量の増加と相まって、業界関係者はこの花々を再生と希望の兆しととらえている。
「私の住む地域では、今年はみんな楽観的です」とディグナム氏は言う。「花や球根への需要は高く、誰もが不安を感じ、何が起きているのかわからなかった昨年とは大違いです」
新型コロナのために、ビジネスのやり方を変えた農家もある。たとえば、球根の代わりにチューリップの生花を販売する農家のほか、クラース・ヴァン・ヘイジ氏のように、国際市場での損失を補うため、国内での販売量を増やしている人もいる。「地元の大手スーパーと契約していて、輸出はほとんどしていません。私たちは運がよかったのです」
花を見るべき場所
花やつぼみは、オランダの大きな観光資源だ。19年の春のシーズンには、100カ国から約150万人が、キューケンホフ公園を訪れた。アムステルダムの南西、リッセにある世界最大級の花の公園だ。この公園は、通常、3月から5月初旬までの間のみ、開園している。20年には、新型コロナの影響でバーチャルツアーを行った。
21年、オランダ政府との試験的プログラムの一環として、キューケンホフ公園は1日5000人の訪問者を迎えた。19世紀の風車と17世紀の城を囲むように咲く色とりどりの花を観賞するには、時間指定の入場券と新型コロナ陰性の証明が必要だった。公園の入り口付近には迅速検査を行うセンターが設置されていた。
開園初日にキューケンホフを訪れたメフラウ・ボスさん(90歳)は、「私にとって、1年のハイライトです」と話す。「長年にわたって定期的に訪れていましたが、20年は新型コロナのために、来ることができませんでした」
どうやら、オランダとオランダの花産業は、再生しているようだ。ディグナム氏は言う。「球根を植えた瞬間から、目の前で自分の子供が成長していくのを見ているようです」
次ページでも、コロナ流行下のオランダのチューリップ畑と、今のオランダの姿をご覧いただこう。
(文・写真 MUHAMMED MUHEISEN、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2021年5月29日付の記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。