帝大に入る実力を備えた女学生を育てる

戦前、女子は大学に通えなかった。しかし文部省の虚を突いて、東北帝国大学が1913年に3人の女子を入学させた。そのうち2人は桜蔭会のメンバーで、教員としてキャリアを積んでいるひとたちだった。

問2は、「なぜ女学校を作ろうと思ったのでしょうか? 当時がどのような時代であったか、どのような出来事があったかをふまえて説明してください」。

現在の桜蔭の校地は、もともと桜蔭会の事務所があった場所。しかし1923年の関東大震災で焼失した。その跡地に、せっかくであれば新しい学校をつくろうということになった。女子教育のニーズは高まっているのに、女学校の数が圧倒的に足りなかったからだ。

授業では職員会記録なども使い、当時に思いをはせる

「桜蔭会は、学びを渇望するひとたちの集まりでしたし、当時男性だけのものだと思われていた帝国大学に実際に入ってしまうようなひとたちのグループでしたから、当然、帝国大学に入れるくらいの実力を備えた女学生を育てたいと考えて、初めは5年制のうえに2年の専攻科も計画していました」

開校当初の写真や職員会議の記録などを見せながら、原初の桜蔭の姿に思いをはせる。次の問いは「初代校長は誰ですか? どのようにして選ばれましたか?」。

初代校長は後閑キクノ。後の昭和天皇の后(きさき)が皇太子妃に内定したときに教育主任を務めた人物で、桜蔭会約2800人のメンバーから、選挙によって校長に選出された。女性に選挙権がなかった時代における、大正デモクラシーそして女性解放運動の機運を象徴するエピソードでもある。

「女性には参政権すらない時代に、男の子と同じだけ勉強をして帝国大学に入学するに足る学力をつけるための学校として桜蔭がつくられたことが、よくおわかりいただけたのではないでしょうか。みなさんはその歴史を背負っているわけで、勉強するのが大好きですね? ……お返事がないようですね(笑)」

真剣に聞いていた生徒たちも、ここで思わず吹き出す。

授業後、齊藤さんに狙いを聞いた。

「この学校は、お金持ちがポンとお金を出してくれてできた学校ではなくて、学びを渇望する女性たちが、寄付をしたり、無料で授業を担当したりして、少しずつつくられた学校です。桜蔭の学びは決して押しつけられたものではなく、自ら渇望して手に入れたものだと、この授業を通してちょっとでもわかってもらえたらいいなと思ってます」

次の授業では、やむを得なかったとはいえ、学校として戦争に協力してしまったことも事実として伝える予定。学校の負の歴史も語り継ぎ、2度と同じ過ちを犯さないためのヒントとしてもらうためだ。

このように、1学期は学校の歴史を中心に話すが、2学期以降は、自分の頭で考えるための素地を養うという。

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