有森裕子 銃撃事件に沈む「ランナーの街」を助けたい
美しい新緑に気持ちも高ぶるランニングシーズンですが、東京をはじめとした10都道府県では、再び新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が出されています。1年以上も前に進めず、心が晴れない状況が続く中、さまざまな競技で東京五輪のテスト大会や代表選考会が開催され、代表選手たちも続々と決定しています。五輪開催の可否を含めた明確な判断や発信がない中で、それぞれの立場で悶々とする状況が続きます。1日も早く建設的な議論の下、先に進める日が来ることを願わずにはいられません。
日本の長距離ランナーを育ててくれた、ボールダーで起きた悲劇
さて今回は、今年3月22日に米コロラド州ボールダーのスーパーマーケットで起こった悲しい事件についてお話しできればと思います。地元の方が利用するこのスーパーでこの日、銃乱射事件が起こり、20歳から65歳までの10人の尊い命が犠牲となりました。
犠牲者の中には、市民を守ろうとした51歳の警察官もいました。彼は7人の子どものお父さんだったそうです。また、過去に米スペシャルオリンピックス[注1]に出場経験のある女性従業員も含まれていたそうです。
マラソン好きの方はよくご存じかと思いますが、ボールダーはロッキー山脈の麓、標高約1600メートルに位置する大自然のエネルギーがあふれる街で、世界各国の陸上長距離のトップ選手たちが高地トレーニングの拠点として利用していることで有名です。日本のナショナルチームや実業団チームも、約30年もの間、高地トレーニングのために頻繁に訪れており、私や高橋尚子さん、野口みずきさんをはじめとした長距離選手たちを、五輪や世界選手権でのメダル獲得や入賞へと導き、日本の長距離界の歴史を築き支えてくれた街と言っても過言ではありません。
[注1]知的障害のある人たちに、さまざまなスポーツトレーニングとその成果発表の場である競技会を提供する国際組織。有森さんは、日本国内での活動を推進する公益財団法人スペシャルオリンピックス日本の理事長を務める。
2大会連続でメダルを取れる力を育ててくれた街
私も1992年に、このボールダーの地で五輪への道のりをスタートしました。合宿は過酷でつらいものでしたが、バルセロナ(1992年)、アトランタ(1996年)と2大会連続でメダルが獲得できたのは、日本でトレーニングを積んでつけた力もありますが、間違いなくボールダーでのトレーニングもその一端を担っています。
この街の素晴らしさは、高地トレーニングに適した環境だけではありません。さわやかな風が吹き、どこまでも高い青空。その空の下、走る街並みの美しさや、住民の方々からの気さくな声かけや笑顔。そして、心身ともに限界まで追い込んでもすべてを包み込んでくれる大自然。これらのすべてが、厳しいトレーニングで疲れた心身を癒やし、エネルギーを与えてくれました。その自然の素晴らしさもさることながら、トレーニング施設も充実しており、街の東西南北すべてのエリアに総合スポーツ施設があります。治安も良く、海外から訪れた人たちも生活しやすい街なのです。
そんな素敵な街で起きた悲劇。事件のあったスーパーは、私の現役時代から利用していた店舗であり、日の丸をつけた日本人選手たちも多数通っていたなじみのある場所です。だからこそ、今回の痛ましい事件の一報にただただ驚き、深い悲しみに覆われました。
元の安全な街に戻るように 広がる支援の輪
長年日本の長距離選手たちを支えてきてくれたこの街への感謝と、今回の事件で亡くなられた方々への追悼のため、そして悲しみに沈むこの街の復興を支援するため、4月20日から「BoulderStrong,Japan」という名称のクラウドファンディング(https://readyfor.jp/projects/BoulderStrong_Japan)を立ち上げました。
きっかけは、私が初めてボールダーで合宿をしたときにコーディネートをしてもらったエージェントであり、友人でもある、ボルダーウエーブ代表ブレンダン・ライリーさんからの呼びかけでした。私もブレンダンさんにはたくさんお世話になり、彼のおかげで安心して高地トレーニングに集中することができました。そんなブレンダンさんの呼びかけにいち早く反応したのが、共通の友人である東京マラソンレースディレクターの早野忠昭さんです。
早野さんは、1993年にボールダーにマネジメントオフィスを立ち上げ、マネージャーとして日本の実業団選手をサポートしてきてくれた人でもあります。早野さんが声を上げてくださり、今回私も一緒に代表発起人を務めることになり、高橋尚子さん、野口みずきさんなど元五輪選手や実業団の監督が発起人として参加することになりました。また、日本だけでなく、ボールダーでトレーニングをしたことのある世界各国のランナーの呼びかけで犠牲者とその家族を支える基金が設立されるなど、自分たちを育ててくれた街や人々への支援の輪は広がっています。
クラウドファンディングで集まったお金は、ブレンダンさんを介して、現地の「Community Foundation Boulder County」が運営する「Boulder County Crisis Fund」に寄付します。治安の維持・回復や被害者家族の生活の支援、セラピー支援などに役立てていただければと思っています。おかげさまで、既に目標金額である100万円に到達しましたが、5月末まで継続予定です。コロナ禍の大変なときですが、賛同いただける方はご協力いただければうれしいです。
アスリートと地域との交流の機会がスポーツの意義を深める
ボールダーは私にとってホストタウンのような街ですが、五輪やパラリンピックでも、開催するにあたり全国各地の自治体がホストタウンに登録されています。2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップでも、そうした取り組みが見られました。
知的障害のある人の競技会、スペシャルオリンピックスでも、開催の1週間前に、大会に出場する世界各国の選手を地域単位で迎え入れて交流を深める「ホストタウンプログラム」があります。選手たちに早めに現地に入って慣れてもらうことが目的ですが、選手が一般家庭にお邪魔して一緒にご飯を食べたり、お話をしたりして交流を図り、現地の人に見送ってもらいながら、試合会場に向かいます。こうしたプログラムがあることで、スペシャルオリンピックスの認知度が上がり、知的障害への理解が深まり、ひいては障害があっても生きやすい未来へとつながる共生社会への可能性が期待できます。
このように、アスリートと現地の方々との交流の機会をつくることで、互いの理解が深まり、感謝や応援の気持ちが育まれます。大きなスポーツイベントでは競技そのものに目がいきがちですが、実はこうした人間の心身のつながりを生む効能こそ、社会のなかでのスポーツの大きな意義だと思っています。
(まとめ 高島三幸=ライター)
[日経Gooday2021年5月17日付記事を再構成]
元マラソンランナー(五輪メダリスト)。1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。
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