絆、社会性、死を悼む 「人間的」なチンパンジーの母
24時間態勢で赤ちゃんの世話をし、その後も10年以上にわたって濃密な関係を続ける。あなたにも覚えがあるだろうか。人間の母親と同じように、チンパンジーの母親も膨大なエネルギーを費やして、子どもを健康なおとなに育てあげる。
近年、新たな研究によって、チンパンジーの母親像がより明らかになってきた。ここでは昨年から今年にかけての3つの研究成果を紹介しよう。
こうした研究成果は、絶滅危惧種であるチンパンジーを守るうえで助けになるだろう。1900年には約100万頭いたチンパンジーは、生息地の破壊、狩猟、病気などにより、現在では17万2000~30万頭と、少なくとも70%減少している。
おとなになっても親密、母と息子の絆
ウガンダの熱帯雨林からタンザニアのサバンナ森林地帯まで、チンパンジーの集団は実に多様だ。それぞれに特徴的な行動が見られるものの、共通しているのは母と子の間に強い絆があること。「人間の愛情関係と同じように、言葉では言い尽くせないものがあります」と、野生チンパンジーを長年にわたって観察してきた米ハーバード大学のポスドク研究員、ラチナ・レディ氏は語る。
チンパンジーの母親は、おとなになった息子とも強い絆を示すことがある。これまで断片的に記録されてきたこうした絆が、おそらくごく標準的なものであるとする研究成果を、レディ氏と共著者のアーロン・サンデル氏は2020年11月に発表した。
研究チームは、ウガンダのキバレ国立公園内の研究サイトの1つ、ンゴゴに生息するチンパンジーの集団において、青年期と若いおとなのオス29頭が、他個体とどのように交流しているかを3年間にわたって観察した。オスたちは子どもの頃ほど頻繁に母親と顔を合わせることはなかったが、たまたま近くにいるようであれば母親を探し出し、長時間にわたって毛づくろいをした。
さらに親しい関係を保っている個体もいた。「若いおとなのオスの約3分の1は、母親と親友のような関係なのです」とレディ氏は言う。
このような母子の永続的な関係は、おそらく地域を越えてチンパンジー全体に見られるものだ。哺乳類でこうした関係ができるのは非常に珍しい。おとなになったオスはたいてい生まれた集団を離れるからだ。チンパンジーの場合、集団を離れるのはメスであるため、メスのチンパンジーにとって最も親密な家族は、自分の息子である場合が多い。
若いオスは集団を離れないものの、彼らにも厳しい移行の時期というものがある。おとなのオスで形成される社会のヒエラルキーに入っていく時期だ。
今回の研究では、オスの人生の転換期に、母親が重要な役割を果たしていることもわかった。母親は、息子が年上のオスと衝突したときに守ってやったり、息子に触れることで慰めてやったりしていた。
他のおとなと交流する時間も確保
メスのチンパンジーの日常に注目したのが、米ジョージ・ワシントン大学のポスドク研究員であるショーン・リー氏だ。例えばチンパンジーの母親は、子どもと一緒にいる時間が長いため、周囲のおとなとの交流はそれほど多くないと考えられてきた。
しかし、リー氏らが多くのデータを解析した結果、チンパンジーの母親は、社交的で知られる近縁の動物ボノボと同じくらい、他のおとなの個体と充実した時間を過ごしていることがわかった。研究成果は20年12月に発表された。
この論文によると、リー氏らはコンゴ民主共和国で授乳中のボノボの行動を記録し、これらの観察結果を、タンザニアのゴンベ渓流国立公園に生息するチンパンジーの数十年にわたるデータと比較した。
分析したのは、食事、移動、毛づくろい、遊びなど、さまざまな行動に費やす時間だ。
予想通り、ボノボよりもチンパンジーの母親のほうが、子どもと1対1で向き合う時間が長く、また、他のおとなの個体と一緒に過ごす時間が少なかった。しかし、毛づくろいや遊びなど、他のおとなとの質の高い社会的活動に関しては、チンパンジーの母親はボノボと少なくとも同じ程度の時間を割いていた。
「私たちが予想していたのとはまったく逆の結果でした」とリー氏は言う。今回の結果は、「チンパンジーの母親は、社会的な交流や社会的な時間を持つ必要があり、実際にそうしている」ということを示している。
悲しみを分かち合う
飼育下のチンパンジーを研究することで、野生チンパンジーの行動についてのヒントが得られることもある。
オランダのロイヤルバーガーズ動物園にいるチンパンジーの中で、最も順位が低い個体の1頭であるモニは、同じ展示スペースにいる他の14頭と関係を築くのに苦労していた。
「どうやったらチンパンジーらしくいることができるのか、彼女にはわからなかったのです」。そう語るのは、オランダ・ユトレヒト大学の博士課程に在籍し、モニおよびこの集団を何カ月にもわたって観察したゾエ・ゴールズボロー氏だ。
ある朝、ゴールズボロー氏と仲間のケイラ・コルフ氏は、展示スペースの中でモニの死産した赤ちゃんを発見した。そして、モニは妊娠していたため、一人でいることを好んでいたのだと気づいた。
その日、チンパンジーたちは異様に静かだった。彼らはいつものようにモニを避けるのではなく、モニの隣に座ってキスをしたり、指を差し出してモニに握らせたり、口に入れさせたりした。
チンパンジーがおそらく悲しみの感情を持つということは、すでに知られていた。しかしモニの事例は、少なくとも飼育下において、チンパンジーが「遺族」を慰めるということの初めての証拠かもしれない。21年2月にこの行動に関する論文を発表したゴールズボロー氏はそう言う。
モニに対する他のチンパンジーたちの強い愛情表現は、数時間しか続かなかった。しかし、モニの喪失体験は、彼女が集団における地位を確立することにつながったかもしれない。彼女は、今では何頭もの個体と毛づくろいをし合う、中間あたりの順位のチンパンジーになった。
ゴールズボロー氏によれば、自らの死を意識するかどうかが「動物と人間の違い」だと考えられてきた。しかし、研究からは、チンパンジーも強い悲しみを経験することがわかってきた。そして言えるのは、チンパンジーの強い悲しみは、私たちが彼らと共有する多くの感情のほんの一つにすぎないということだ。
(文 GRANT CURRIN、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年5月10日付]
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