古川日出男 360キロ歩き故郷・福島と向き合った1冊
この本を、何と形容すればよいのだろう。デビュー以降、『アラビアの夜の種族』『ベルカ、吠えないのか?』『女たち三百人の裏切りの書』ほか、20年以上にわたり独自の小説世界を切り拓いてきた古川日出男が、2020年の夏と秋に、故郷・福島をひたすら歩き、人と会い、話を聞いた、その記録。ルポルタージュと言うにはあまりにも個人的で、哲学的で、けれどそこに一切の嘘や脚色はなく、読者は、360キロに及んだ古川の徒歩に、思考に同行し、それぞれに、東日本大震災を思う。
「復興五輪と謳(うた)われた東京オリンピック期間中、福島県内を歩いて、現実を見ようと思ったのが始まりです。オリンピック延期が決まっても、復興五輪も奪われるのか、だったら、やっぱり歩かないとな、と。自分が歩く、運動する存在となって、震災から9年10年を経た福島と向き合ったとき、何を思想としてつかみ取れるのか、という長い長いアクションでしたね。例えるなら、競技のような」
遊漁船の船長、石井さんの「自分は『生かされた』と思ってるんすよ」、土砂崩れの被害に遭った高野さんの「『いつでも楽しく』ってね」、ダム決壊被災者の会の代表を務める森さんの「(犠牲者の)数じゃないんだよね」、語り部活動を続ける高村さんの「(伝えるには)傷を残すこと」――。重ねられた会話が、心に積もっていく。
「毎日、人と話して、夜その録音を何時間も聴いて、また取材に行く。その繰り返しでした。可能な限り、多様な人の話を聞きましたが、気をつけたのは、主役は、土地と、そこに住んでいる人たちであって、作家としての自分は消えていい、ということ。でも、人が語ったままを文章にすることを徹底していくと、自然に、自分が出てきた。驚きながら書いていくうちに、"古川日出男の本"になっていったんです。不器用なのかな。結局、自分からは逃れられないですね」
その"自分"とは、福島県郡山市でシイタケ生産業を営む古川家に生まれ、18歳で故郷を後にした日出男という、1人の人間としての"自分"でもある。震災と向き合うことは、自身の家族や親戚、友人、そして幼い頃の記憶とも向き合うことへとつながった。
「キノコ屋の息子」の道程
古川には年の離れた兄と姉がいる。兄は18歳で「キツイ」家業を継ぎ、姉は近隣の農家に嫁いだ。「肉体労働に不向き」だった古川は、幼い頃から家を、福島を脱出したかった。作家になっても、著書を送ったことはない。震災後、朗読会など様々な活動で復興支援に関わってはいたが、なんとなく距離を置いたままだった兄姉に、今回はインタビューを行った。
「私は作家である。弟である。」古川は、覚悟をそう書いている。
「弟となって、兄と姉の話を聞いたことは、彼らをちょっと、救えたのかなと。家族のこと、地元のことを書くことで、恩返しできたような。初めて知ったんですが、母も姉も、僕の本を買って読んでくれてたんです。幼なじみも、『みんな、日出男君のためならなんでもやるって思ってますよ』と言ってくれて、一瞬、オレ泣くかな、と(笑)。人って、触れてる人以外は自分のことなんて意識していないと思いがちだけど、そうじゃなかった。それがありがたかった」
歩く前は、「俺は福島をくさすだろう」と思う部分もあった。しかし、自らを「キノコ屋の息子です」と言いながら歩き通した故郷は、「きれいなところばっかりで、いい人ばっかりだった」と笑う。
「そもそも小説って、自分で土地を耕して、種撒(ま)いて収穫して売る、農業と同じ一次産業なんです。地べたを行く仕事。今、大地を歩いたからこそ、見えたもの、書けたものがあったと思っています」
この本を手に福島を歩きたい。考えたい。今、必読の書である。
2020年の夏と秋にトータル360km以上を踏破。ルポの様子は、NHK『目撃!にっぽん』でも放送された。東日本大震災から10年を経て、福島の人は今、何を考え、どう生きているのかを丹念に言葉にした1冊。津波、原発事故、さらに19年10月の台風19号も含め、報道からこぼれ、忘れ去られた被災地の年月が、強く、ありありと伝わってくる。タイトルに込められた思い、14ページにもわたる「長い後書き」が胸を打つ。(ドキュメンタリー/講談社/1800円)
(ライター 剣持亜弥)
[日経エンタテインメント! 2021年4月号の記事を再構成]
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