前回お話ししたように、広大付属高校を卒業後に、東工大7類に入学しました。この理系の国立大学は1~7類に分かれ、1類は理学系、2~6類はいわゆる工学系、7類は生命理工系だった。高校時代にプログラムの面白さに目覚めましたが、情報工学は自分でパソコンを使って学習することができます。しかし、バイオ工学分野なら、東工大の高額な実験機器を存分に使って面白い研究ができると思ったのです。

「東工大では細胞工学を専攻したが、どうしても製薬分野に興味がわかなかった」と振り返る

実際、電子顕微鏡なども活用し、遺伝子を切ったり、張ったり、微細な加工を施し、ゲノム(全遺伝情報)解析などもやっていました。最近、新型コロナウイルスの検査でゲノム解析が話題になっていますが、そのような医学領域に近い分野です。

研究室で、師事したのは細胞工学の権威、赤池敏宏教授(当時)。「バイオマテリアル分野の未来は明るい」と語り、医学・生命科学と材料科学の懸け橋的な存在の著名な先生だった。ES細胞やiPS細胞を高品質で大量に培養する技術開発を目指し、再生医療の研究で国内外から注目を集めていました。

しかし、製薬分野に興味がわきませんでした。医学的な視点ではなく、ソフトウエアを活用したものづくりの方に関心がありました。この生命工学の研究も、プログラミングによる画像解析が必要となります。それで大学院を修了した後、当時話題になっていたインクスの門をたたいたわけです。

インクスでは民事再生法を適用後も、すぐには退職しなかった。

3年目で開発リーダーを任され、チームを引っ張る責任がありました。いずれの社員も給料は大きく下がるし、つらい日々が続きました。しかし、金型の先端技術を持っているので、顧客側のニーズが下がっているわけではありません。チームメンバーと一緒になってエンジニア開発面で会社の復活を支えました。事実、米自動車メーカーなど優良顧客を獲得し、12年には再建のめどがつきました。

「もう役割を果たしたよね。好きなことをやれば」と妻から促されたので、転職を決めました。その頃は趣味程度ですが、ウェブサービスも運営し、ニコニコ動画に投稿もしていました。結局、ドワンゴにエンジニアのリーダーとして入社、ミドルウエアを駆使して、ニコニコ生放送のシステム改善にあたりました。

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