先輩からの学びは生涯の宝

88年から約12年間にわたって担当したラジオ番組「梶原しげるの本気でDONDON」も荒っぽいところのある番組だった。放送当日の朝、スタッフが集まって、その日の気になるニュースを選んで、当事者を追いかけ回す形式が人気を博した。ホットなネタを扱うだけに、トラブルもしばしばだったが、文化放送は「やめろ」とは言わず、「頑張ってるなあ」と声をかけてくれる人が多かった。総じて大らかな人たちの集団だった気がする。

討論番組の司会という、それまでは経験のなかった仕事も、他局でデビューさせてもらった。テレビ朝日系の「こだわりTV PRE★STAGE」という深夜討論番組の司会を務めた。硬派のテーマで激論を戦わせる場を仕切るのは、骨の折れる仕事だったが、貴重な経験になった。

おきて破りともいえそうな他局への「越境出演」の際、後に文化放送の社長となった人が「ギャラの交渉、やってやろうか?」と言ってくれた。そんなところまで面倒をみてもらえる、あたたかい気風の会社に、40代前半までお世話になった。

家族的な雰囲気がありながら、一匹狼タイプの逸材もいるといった、人材が豊富で、とても働きやすい放送局だった。ありがたいことに、今もラジオの仕事を続けている。ここまでやってこられたのは、野球の見方すら、ろくにわからなかった駆け出しを、親切に導いてくれた、文化放送の先輩たちのおかげだと感謝している。

もっとも、同じ勤め先に長く籍を置いていると、そこのカルチャーに慣れてしまうところがある。たとえば、文化放送では電話番号の局番「東京03」を「ゼロサン」と読むならわしがあった。しかし、文化放送以外のラジオ局では「レーサン」と読むケースが多い。私がフリーアナになって、最初に戸惑ったのは、どこのラジオ局へ行っても「ゼロサンじゃなく、レーサンでお願いします」と注意されることだった。

でも、「ゼロサン」問題を除けば、ラジオパーソナリティーとしての仕事ぶりに、特段の注文がついたことはあまりない。そのベースをつくってもらったのは、間違いなく文化放送でのキャリアだ。

しゃべりテクニックにとどまらず、仕事人としての背骨をつくるうえでは、働き始めた最初のうちの学びが大きい。読書や各種スクールで自ら学ぶのも意味があるが、職場で出合った先輩たちから教わることは、自分だけでは至りにくい知見を授けてくれる。みのさんをはじめ、大勢の先輩の言葉や仕事ぶりは間違いなく私の血肉になっている。

新型コロナウイルス禍はオフィスから人を遠ざけ、先輩から教わるチャンスを奪った。しかし、ずっと何年もこのままの断絶状態が続くわけではないだろう。いずれ安全が確保されて、職場に活気と言葉が戻ってきたときは、それまでの分を取り戻すつもりで、先輩からあれもこれもと学び取ってほしい。そして、勤め先に十分な度量があれば、副業のような格好ででも、いろいろな「他流試合」を試すといいだろう。たくさんのチャンスをもらった文化放送の70周年を振り返って、その思いを強くした。

梶原しげる
 1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーに。92年からフリー。司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員。著書に「すべらない敬語」「まずは『ドジな話』をしなさい」など。