日経ナショナル ジオグラフィック社

フランスの戴冠用宝玉(国家的式典などで王が身に付ける宝飾品)は、1530 年にフランソワ1世が定めたものだ。しかし、王室が資金を得るために徐々に売りに出したことで、コレクションは縮小していった。1600年から1700年代になると、ルイ14世やルイ15世(図)は、豊富な資金を活用してコレクションを充実させた。このコレクションは、1870年代にフランス第三共和政の時期に売却されるまで続いた(G.BLOT/RMN-GRAND PALAIS)

時効とともに現れた謎の青いダイヤ

1812年、フレンチブルーよりも小さな青いダイヤモンドが、ダニエル・エリアソンというロンドンの商人の手に渡った。エリアソンがどうやってこれを手に入れたのか、誰にそれを売ったのかは謎に包まれている。

エリアソンはこれを宝石商のジョン・フランシロンに見せた。宝石のスケッチを残したフランシロンは、この45.52カラットの青いダイヤモンドについて、「汚れも傷もない」と表現している。歴史家たちは、フランス革命期間中の犯罪の時効が成立した2日後にこのダイヤモンドが再登場したのは偶然ではないと考えている。おそらく、時効が成立したため、所有者がこのダイヤモンドを売ろうとしたのだろう。

この「新しい」ブルーダイヤモンドはフレンチブルーよりも小さいが、質は変わらなかった。しかし、これも姿を消し、再び姿を現したのは1839年だった。今度は銀行家のヘンリー・フィリップ・ホープのコレクションとして記録されていたことから、「ホープダイヤモンド」と呼ばれるようになる。

ホープ家は1901年にこのダイヤモンドを売りに出し、1912年には米国人女性エバリン・ウォルシュ・マクリーンの手に渡った。彼女の死後、1947年に宝石商のハリー・ウィンストンがホープダイヤモンドを購入し、1958年にスミソニアン協会の国立自然史博物館に寄贈した。

ホープダイヤモンドと失われたフレンチブルーは長いこと同じものだと考えられてきたが、それが証明できたのは、盗難から213年がたった2005年のことだった。スミソニアンで国立宝石コレクションの学芸員を務めるジェフリー・ポスト氏をはじめとする専門家たちが、17世紀の記述、フレンチブルーの詳細なスケッチ、ホープダイヤモンドのスキャン情報を元に、コンピューターモデルを作成した。その結果、ホープダイヤモンドはインド産であり、2回にわたってカットされたことが明らかになった。

2007年になると、パリの自然史博物館で盾の形をした鉛製の模型が発見され、フレンチブルーのレプリカであることが確認された。自然史博物館の学芸員であるフランソワ・ファルジュ氏は、レプリカとともに見つかった19世紀のカタログラベルに、フレンチブルーがどうなったかを示す手がかりがあると述べている。そこには「ロンドンのホープ氏が所有」と書かれていて、ヘンリー・フィリップ・ホープがフレンチブルーを手に入れた後に、このダイヤモンドがカットされたらしいことがわかる。

この型から、失われたフレンチブルーの正確な寸法がわかったため、コンピューター上で精密に形を再現することができた。この情報とそれまでの研究データにより、科学者たちは長年の謎を解き、ホープダイヤモンドがフレンチブルーであることを、ついに証明できたのだ。

次ページでも、このダイヤの物語と関係する場所や宝石を、写真でご覧いただこう。