73年、大学から1年半の予定でヨーロッパに派遣されることとなった。35歳というおそめの留学。久野は日本とヨーロッパの距離感を自身の身体で計るべく、あえて飛行機をさけ、戦前の船旅ならぬシベリア鉄道で3週間かけてパリに到着する。パリでは、到着翌日さっそくルーヴル美術館へ。なまで見る古典絵画に自分のすすむべき道を自覚することとなった。美術学校で絵画技法を中心に学ぶほか、旅行も精力的に行う。とくにイタリアの美術館・教会めぐりでは初期ルネサンスの清新な息吹、とりわけジョットの作品に心がおどった。

ルネサンス技法と日本の風土を結ぶ

そして、古典絵画の構造と技法を習得すべく、ルーヴル美術館でジョット《聖痕を授かるアッシジの聖フランチェスコ》の本格的な模写にとりくむ。毎日午前中に描くという許可をもらったものの、完成までに1年はかかるはず。すると滞在予定期間を確実に越えることとなる。帰国せねば、同大学の教員をつづける道はとざされてしまう。人生のおおきな選択をせまられた久野は、しかし迷うことなく模写の続行を決意する。大学の籍はうしなった。だが、そのような覚悟ゆえか、すさまじいまでの集中力で久野の模写は、日本人画家たちが明治期以来ヨーロッパで行った名画模写のなかで、もっとも迫真の作となっていく。けっきょく2年半あまりの滞欧。おおきな成果をもって帰国した久野を、こんどは大学側が離さず、あらためて非常勤講師にむかえている。

滞欧の成果たるルネサンス技法の習熟を、日本の風土のなかでどう自分の作風としてきずいていくか。その模索は帰国から4年後、机上のリンゴなどを描いた静物画《実(じつ)》によってみごとな達成をみせた。初期ルネサンス仕込みのたしかな表現技術によって、これまでの日本絵画にないような豊かな空間やモノの実在感を実現している。その後、自身による自然賛歌として「草花礼讃(らいさん)」連作ののち、帰国から9年後の47歳にしていよいよ本作品《水溜まる》に取りくんだ。

「ものを見るとは、どういうことか。対象のほうから語りかけてくる、そのかすかな声を聴くのが画家の感覚だと思う。その意味で、絵を描くとは自分の美意識と周波数のあう対象との対話といえるのではないか。この作品《水溜まる》の場合も、あるときアトリエちかくの空き地をとおりかかると、『久野さん、私はここにいますよ』と呼びかけられたような気がしてふと目にとまった情景だ。コンクリートの壁を背景として雨上がりのくぼ地にできたなんでもない水たまりと周辺の草花。しかし自分にはなんとも美しく思われた。美の小宇宙がかたちづくられている。好きであった仏教の言葉『草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)』を思いだしてもいた。けっして観念的ではなく、あくまでもみずからの肉眼によって、対象の奥に感じたものをいかに表現するか、絵が自然に生まれてくるかが、画家としてもっとも大切なところだと思う」

本作品がきっかけとなって、かつて滞在したこともあるイタリアのトスカーナ地方にくりかえし旅をしながら、「地の風景」の連作が始まる。紀元前にエトルリア文化を育んだ憧憬の地。古代がしのばれる丘陵地帯の静かなる声にそっと耳をかたむけ、自然とのひそやかな対話のなかでひとと自然との交換関係を描く。近年それが奈良の風景、それもなにげない自然の小景からなっており、画面が名状しがたい深みをおびてくるところとなった。それらはまた、画家を志した若き日の誓いの証しともいうべき作品群なのである。

(敬称略)

中山真一(なかやま・しんいち)
1958年(昭和33年)、名古屋市生まれ。早稲田大学商学部卒。42年に画商を始め61年に名古屋画廊を開いた父の一男さんや、母のとし子さんと共に作家のアトリエ訪問を重ね、早大在学中から美術史家の坂崎乙郎教授の指導も受けた。2000年に同画廊の社長に就任。17年、東御市梅野記念絵画館(長野県東御市)が美術品研究の功労者に贈る木雨(もくう)賞を受けた。各地の公民館などで郷土ゆかりの作品を紹介する移動美術展も10年余り続けている。著書に「愛知洋画壇物語」(風媒社)など。

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