SKY-HI 「幸せじゃない」と感じてレーベル立ち上げSKY-HIインタビュー(上)

日経エンタテインメント!

この日のSKY-HIはダークスーツに身を包み、取材前に交換した黒い名刺には、SKY-HIの名前とともに、「CEO/Artist」という肩書き。AAAの日高光啓とも、ラッパーのSKY-HIとも違う姿で現れた。

1986年12月12日生まれ、千葉県出身。05年AAAのメンバーとしてデビュー。同時期からSKY-HIとしてソロ活動を開始、MCバトル等に参加。代表曲に『アイリスライト』『カミツレベルベット』他、アルバム『JAPRISON』他。20年にBMSG設立、代表取締役CEOに就任(写真:上野裕二)

これまでも日本の社会のあり方や音楽業界に対し、自らの意見を発信し続け、エナジェティックに活動してきたSKY-HIだが、2020年、レーベル&マネジメント会社である「BMSG」を設立。4月2日からは、BMSG主催のオーディション「THE FIRST」も始まり、いよいよ自身がこれまで考えてきたことを本格的に形にするフェーズに入ったのではないだろうか。

なぜ、SKY‐HIは自ら動く道を選んだのか。そこには、AAAのメンバーとして、メジャーシーンをトップから見てきた視点と、ソロラッパーとして経験したアンダーグラウンドからの視点、さらには、アジアをメインに海外のアーティストと交流することで得た外からの視点など、マルチアングルで音楽業界を見てきたからこその、ひっ迫した危機感があった。

「第一は、日本の音楽業界が仕組みとして“閉じてしまっている”ことにありました。日本の芸能界って30年ほど前に大きなバブルがあって、音楽業界ではCDバブルもありました。そのバブルのインパクトが強かったぶん、いまだに当時の仕組みのまま変わっていないことがたくさんあるんです。

例えば、ミュージックビデオ(MV)の制作予算。いまだに日本の多くのメジャーレーベルが、CDの売り上げから逆算する形で組んでいる。でも、今はCDがメインで聴かれる時代なんかじゃないから、「MVの制作費も安く抑えるのが当たり前」の方向に進んでしまっています。

それにきちんと対応した世界の音楽市場はぐんぐん伸びていて、MVに映画1本分の制作費を掛けることもあるほど。それとは逆に、自分の部屋で作品を作って世界中に送り出す、いわゆる“ベッドルームミュージシャン”の流れもある。インターネットの時代になって、音楽業界もすべてが劇的に変わった。それなのに、日本では30年前からビジネスの仕組みがほぼ変わってない。そんな業界が残れるのか……僕は、とても危険な状況だと思っています。とにかく“閉じている”印象が強いんです。

一方で、コミュニケーションとしては、インターネット、特にSNSを介して“開いている”環境にもなっている。30年前の感覚の業界からアーティストが世の中に出ると、実際に待っているのは“開いている”世界。表に立つことは、過剰なストレスを負うことに直結してしまう。名前が売れるほど、「幸せ」でなくなっていく状況があると感じています。半分ぐらいはやむを得ないとは思っているのですが、どう考えても負う必要の無いストレスやプレッシャーが本人たちに向けられているなぁと感じることは少なくないです」

「幸せ」はSKY‐HIにとって、最近の活動の根幹にあるキーワードのようだ。20年9月に両親の住む実家から配信したオンラインライブ「#SKYHI実家ワンマン」では、「俺が幸せである意思表示になった」と語り、1月に配信リリースしたKan Sanoとのコラボレーション曲のタイトルは『仕合わせ』。BMSGの公式ホームページには「幸せな人は一人でも多い方がいい。それは、そもそもエンターテインメントが何のためにあるのかって話だから」と記されている。

自身で会社を設立する大きなきっかけになったのは、喜びの絶頂にあるはずの瞬間に「幸せじゃない」と感じた出来事だったという。

「17年5月、2日間の日本武道館公演(『SKY‐HI HALL TOUR 2017~WELIVE~』のファイナル)を終えた後のことでした。当日はもちろん素晴らしい気持ちでしたし、ファンやスタッフの方々も含め、周りのリアクションにもありがたい気持ちでいっぱいでした。でも、一方でこう感じてしまったんです。『万が一、このまま自分の評価がどんどん上がり、どんどんライブ会場の規模が大きくなったら…あれ? 全然幸せじゃなさそうだな』って」

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